山形交通 車両アルバム

ヤマコーはこれだけの名車をラインナップしていた!!

●いすゞBU10D

いすゞBU10D
山形、上山地区に導入された低馬力の一般路線バス用車両で、昭和53(1978)年式ながら大型方向幕を装備。新潟県に本社を置く北村製作所の車体は、山形交通でもいすゞ車を中心に採用されてた。独特の丸っこいボディは北村ボディの特徴だ

●日産ディーゼルK-UA31N

日産ディーゼルK-UA31N
県内の特急・急行バス用に昭和55(1980)〜57(1982)年に投入された路線バス用エンジンベースのトップドア車で、車内はリクライニングシートが並ぶ。優等系統用として導入された最後のグループで、廃車時期まで山形から新庄、米沢、長井、蔵王温泉方面の特急・急行バスを中心に運用された。車体は3Eと、観光バススタイルの3B型の2種類があった。山形交通はかつて日産ディーゼル、三菱、日野、トヨタに富士重工製ボディを採用していたがその富士重工も平成15(2003)年にはバス車体事業から撤退してしまった

●いすゞP-LT312J

いすゞP-LT312J昭和59(1984)年式のいすゞ製ショート大型車LT系である。川重製ボディを採用するとすでにキュービックスタイルに移行していた時代だが、北村ボディを選択すると旧来の丸っこいボディが架装された。この古めかしさもあって、LT系の北村ボディ採用例は非常に少なくなっていた。北村製作所は昭和60(1985)年を最後に大型バス車体の生産を終了し、細々と続いた小型バス車体製造も平成7(1995)年に打ち切った

●日産ディーゼルU-UA440LAN

日産ディーゼルU-UA440LAN
平成4(1992)年、RE121形以来14年ぶりに導入された大型一般路線バス用車両で従前の仕様に倣い、前後ドアとされた。スモークガラスにハイバックシートを備えたデラックスな仕様が自慢であったが、前後ドア車はこの年が最後の導入となったほか、この塗装デザインの採用も最後となった

●日産ディーゼルU-RP210GAN

日産ディーゼルU-RP210GAN
平成5(1993)年、山形交通グループは新CIを導入し、企業グループ愛称も「UTORIA」とされた。これに伴いバスのデザインも一新。かつての赤バスカラーを彷彿とさせるカラーリングとなった。同時に車両の仕様も前中ドアに改められ、現在に至っている。なお、平成5〜6年は、3世代のカラーが同時に活躍する姿が見られた(その後赤バスカラーはリバイバル塗装で復活する)

●いすゞU-LT232J

いすゞU-LT232J
これも平成5年に導入された新デザイン第一陣のうちの1台である。平成8年頃になると、県内の特急バスに使用されていたトップドア車の引退が進んでおり、こうした一般路線車、それもショート大型車が特急に運用されることもあった。平成9年には、かつて30分以下の間隔で運転されていた米沢線特急も2往復にまで減少し、翌年には廃止されてしまう。生徒数の減少や、平行する奥羽線の利便性向上、自家用車の普及などによって急速に幹線系統が衰えていった時代だ

●いすゞU-LV771R

いすゞU-LV771R
平成4、5年と、続けて山形・仙台線高速バスにトイレ付きのデラックスな新車が投入された。当時はまだ30〜60分間隔での運転だったが、その利便性から乗客が多く、その後は飛躍的に増便される。平成年間には、規制緩和によって他の事業者が参入することもあったが、山形交通・宮城交通の路線が最後まで残り、現在は最小4分間隔で運転されるドル箱路線となっている。一般路線バスの縮小が顕著に進む中、高速バスへのシフトが始まった頃、と言えよう