【特集・平成初期のバス 第1回】東北のバスの色をかえた!! 山形県 山形交通(山交バス)編

 山形県内において、庄内地方を除くエリアで路線、観光、高速便の発着とほぼすべてのバス旅客業務を行っている山交バス。さらに宮城県内でも山形県各地からの高速バスの運行や貸切バスも運営する。

 近頃は山形〜大阪を直結する高速バス「アルカディア号」が話題となる華やかさがあるが、かつて平成時代には、これほどに“渋い”フルメーカー名車ラインナップを誇っていた。

執筆/写真:石鎚 翼

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グループ再編、高速バスへのシフト…。
大きくイメージを変えた山形のバス

たまたま3代のカラーリングが並んだ写真。左が昭和61(1986)年まで採用された旧旧カラー(この車両は後年登場したリバイバル塗装車)、右が昭和62(1987)年から平成4(1992)年まで採用された旧カラー、中央が平成5(1993)年から採用されている現行カラーである。この塗装はまさに山形交通の平成年間の変容を表しているといっても過言ではない

 いま「令和」の時代も2年目となっているが、交通機関にとって、30年間続いた平成の時代は昭和後半の大量輸送時代を終えてモータリゼーションがより一層進展、そして平成初期のバブル景気を経験した。

 地方では乗客の減少傾向に歯止めがかからず、平成末期には経営破綻に至る事業者も珍しくなくなってしまった。また、規制緩和をはじめ、事業者の再編や公営交通の事業廃止(民間移譲)など、交通業界を巡る環境は大きく変わった。

 平和な時代と称される平成だが、バス業界は大きな転機が訪れた時代だったのかもしれない。ここでは、そうした岐路に差し掛かった、すでに四半世紀前となった平成初期の時代を、車両陣容を中心に振り返ってみたい。

日野RE121形
富士重工3Eボディを架装し、初期型大型方向幕を備えた一般路線バスで、昭和53(1978)年式が平成6(1994)年まで残った。このグループは塗装変更が行われることなく、伝統の赤バスカラーを最後まで守り抜いた。なお乗客の減少傾向からこの形式以降、大型2ドアの一般路線車はしばらく導入が途絶えてしまい、大型ショート車や中型車の導入が中心となっていく

この時代に激動の変遷をとげてきた山形県のバス事情

 山形県内陸に広くバス路線を展開する山形交通。現在はグループ再編から株式会社ヤマコーに商号を変更し、バス事業は「山交バス」として分離独立している。これが平成9(1997)年であったから、平成年間は新会社として再出発の歴史ということもできる。

 平成初期までの山形交通時代の社紋は、かつて存在した鉄道路線3路線のレールを交差させ、中心にバスのハンドルを配したものであった。

 また、会社再編に先立ち、平成5(1993)年からは新たなデザイン、グループ愛称が導入され、「UTORIA(ユトリア)」の新グループ名称をデザインしたバスが導入された。

日野RV550形
富士重工S型ボディを架装したセミデッカー車で、元貸切バス車両。平成初期にはRV550P、K-RV561Pや日産ディーゼルのK-RA51Tの路線バスへの格下げが行われた。画像は千歳公園待合所で出発を待つ赤湯経由長井行きの特急バス。平成初期は県内各地への特急パス網が健在であった

 そして40年余りにわたって長らく親しまれた「赤バス」カラーが消滅したのも平成6年である1994年のことだった。

 山形交通にとっての平成初期は、バス塗装デザインのほか車両の仕様も大きく変わり、グループの再編が行われるなど、大きな変化が見られた時代だった。そんな時代に活躍した山形交通の車両たちを振り返ってみる。

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