アバルト124スパイダーの生産が終了した。124スパイダーは、マツダ ロードスターと基本部分は同じであり、そのうえでフィアット社の特色を出したオープンスポーツカーだった。
ただ、通常せいぜいデザインを多少差別化する程度にとどまる場合が多いのに対し、ロードスターと124スパイダーはエンジンまで異なる。日本のマツダとイタリアのフィアットがコラボレーションしたという意味でも珍しい事例だった。
なぜ、マツダとフィアット/アバルトの異例ともいえるコラボは実現したのか?
文:御堀直嗣、写真:マツダ、FCA、小宮岩男、大音安弘
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マツダとアバルト 異例コラボの背景は?
フィアットは、1960年代に850スパイダーや、124スパイダーなどオープン2座席のライトウェイトスポーツカーを販売した経緯があり、ことに124スパイダーは国内でも見かけることがあった。
また、124スパイダーは高性能版のアバルト仕様も追加され、現行のアバルト124スパイダーは30数年振りかの復活といえた。
欧州では、ほかに英国でも1950~1960年代にはMGAやMGB、トライアンフスピットファイアなどがあり、オープン2座席のライトウェイトスポーツカーが華やかな時代があった。
初代ロードスターより20年以上前にオープン2座席のライトウェイトスポーツカーを生み出していたフィアットは、いつか復活の機会を探していたといえるのではないか。
1990年代半ばには、前輪駆動の乗用車を基にしたバルケッタを販売してもいた。同時にその間、1990年代には世界の自動車メーカーが合併と分離を繰り返し、業界再編が進んでいた。
フィアットは、1960年代にイタリアの自動車メーカー(アウトビアンキ、フェラーリ、アバルト、ランチャなど)を次々に買収し、これにアルファロメオを加え、イタリア最大の自動車メーカーとなった。いっぽうで、その後は経営不振にも陥っている。
しかし、そこから小型車のパンダ、ウーノ、プントなどで巻き返しをはかり、2009年に米国クライスラー社に資本参加を行った。2014年には完全子会社化することによってFCA(フィアット・クライスラー・オートモビル)となる。
そうした時代の流れのなかで、2013年にマツダと提携の合意がなされたと伝えられる。2015年にまずマツダ ロードスターの4代目モデル(ND型)が発売され、翌2016年にアバルト124スパイダーが発売された。
124スパイダーの生産はロードスターにとってもメリット
ロードスターは、1989年の初代から根強い人気を保ち、2016年には累計100万台を達成するなど、世界で最も多く生産されたオープン2座席のライトウェイトスポーツカーとしてギネス記録になるほどだ。
歴代で最も販売台数が多かったのは初代であり、その後もいかに効率的に作り続けるかは永年の課題であったろう。
4代目ロードスターの開発主査を務めた山本修弘は、「マツダにはロードスターをつくり続けるための知見がある」と語ってきた。
そして現行ロードスターは、もっとも販売台数の多かった初代の所有者にも好意的に迎えられ、順調な販売を続けている。
加えて、フィアットでもスパイダーとして販売されることになれば、生産台数の上澄みが可能となり、生産工場の稼働率を高めることにつながるはずだ。
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