歴代フェアレディZのスタイリングの変遷、240ZG、Z34型との比較、BRE DATSUN240Zほか
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1974年式フェアレディZ 240ZG vs
Z 50thアニバーサリー
BREことブロック・レーシング・エンタープライゼスは1966年、ピート・ブロックによって設立された。ピート・ブロックは元GMのデザイナーでコルベットデザインチームに在籍した後(1959年スティングレィレーサーコンセプト、1963年スティングレィ・スピリットウインドウ)、キャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンにおいて空力デザイナーを務めており、デイトナコブラクーペ(1963年)のエクステリアを整えた人物として知られていた。
当初は日野自動車との契約でいくつかのレースカーの製作、デザインを手がけたが、BREサムライの斬新なデザインが、注目を集めることとなり、当時日野を買収したトヨタからもプロトタイプデザインの発注を受ける。トヨタは当時発表したトヨタ2000GTをBREでレースカーに仕立ててSCCAで走らせる構想をたて、契約交渉をトヨタと進める。
しかし、トヨタは直前で契約交渉を撤回し、当時西海岸のトヨタ車ディーラー契約を獲得していたキャロル・シェルビーにトヨタ2000GTでのレース契約を依頼する。
そこでピート・ブロックは日産との契約を進めることになる。当時のBREにはドライバー、エンジンチューナー、シャシー設計者など後の業界を代表する才能が集っていた。
BRE DATSUNは活動を開始するや、はやくも初年の1968年のシーズンからフランク・モニス、ジョン・モートンなどの名ドライバーの活躍によりDプロダクションSO PACディビジョン優勝、1969年にもDプロダクションクラス優勝を重ねた。
1970年に入るとBREはロードスターに替えて240Zを投入。最終的にはNo.46 BRE240Zは1970年のチャンピオンを獲得し、ロードアトランタで行われるチャンピオンシリーズARRC(アメリカン・ロードレース・オブ・チャンピオン)においてもBSR240Zを破り全米チャンピオンに輝いた。
翌1971年になるとレース界隈では本格的なZ(ズィ)カーブームが到来。BRE240Zを多数のプライベーター240Zとポルシェが追うという構図となったが、プライベーターがやりがちな無謀なエンジンチューンを避け、慎重にバランスを取り、無理のないスペックでレースに臨んだ。
こうして1971年のシリーズもBREが制覇し、ARRCも制覇。堂々の二連覇を果たした。続く1972/1973年にはボブ・シャープ・レーシングも同じくシリーズチャンピオンを獲得している。さらにこのカテゴリーにおけるZの連覇はチームこそ異なるが、実に1979年までの10連覇を果たしている。
補足として著名な510ブルーバードのBREについても簡単に解説しておこう。
1971年からTransAMシリーズにU25クラスが設定された。西海岸を中心に人気の高まっていた排気量2.5L以下の小型車を対象とするクラスで、BMW、アルファロメオなどのヨーロッパの老舗ブランドも名を連ねていた。BRE510は参加初年度の1971年からアルファロメオとシリーズ優勝を争う大健闘をみせる。
シリーズ優勝の行方は最終戦までもつれ、ジョン・モートンの鬼気迫る走りでBREは見事シリーズタイトルを手にする。続く1972年はBREの独壇場となり、BRE510は強豪を圧倒し2年連続のシリーズチャンピオンに輝いた。