1987年に登場したギャランVR-4とWRCマシン、ギャランAMGほか
元記事に戻る ラリーの三菱を決定づけた 栄光のギャランVR-4はいまいくら? 全国に5台で絶滅危機!?
世界ラリー選手権(WRC)は1987年シーズンより、年間5000台以上(1993年からは2500台以上)を生産する市販車ベースのグループA車両をトップカテゴリーとして争われる選手権に移行したが、三菱および傘下のラリーアート(1984年4月設立)は、ここにギャランVR-4を投入する計画を立てた。
実行されたのは1988年。当初は全日本ラリー選手権やアジアパシフィックラリー選手権(APRC)に参戦しながらマシンの開発を進め、同年開催のニュージーランドラリーにおいてギャランVR-4でのWRC初陣を飾る。
ドライバーは三菱に所属していた篠塚建次郎選手。ちなみに、篠塚選手は1988年シーズンのAPRCでドライバーズタイトルを獲得するという偉業も達成した。
当初はWRC界で、その大柄で背の高いスタイルから“リムジン”などと揶揄されたギャランVR-4だが、参戦を重ねるに連れて完成度が増し、とくにグラベルにおいて抜群の速さを見せたことから“グラベルのミツビシ”と称されるようになる。
ギャランVR-4の戦績は、1989年シーズンの1000湖ラリーとRACラリー、1990年シーズンのコートジボアールラリー、1991年シーズンのスウェディッシュラリーとコートジボアールラリー、1992年シーズンのコートジボアールラリーで総合優勝を成し遂げた。