まだ右側通行だった沖縄!! 日本屈指の大分「やまなみハイウェイ」!! 水着バスを運行していた宮崎交通のどれもが強力すぎた1970年代!!

まだ右側通行だった沖縄!! 日本屈指の大分「やまなみハイウェイ」!! 水着バスを運行していた宮崎交通のどれもが強力すぎた1970年代!!

 現在は「バス」のニュースというと多くが「運転手不足で減便」……。しかし60代の筆者が若い頃には、こんな時代が来るとは思わなかった。1970年代、九州、沖縄のバスは愉快痛快なバスで溢れていた。

(記事の内容は、2025年7月現在のものです)
執筆・写真/谷川一巳
※2025年7月発売《バスマガジンvol.129》『バスにまつわる愉快だけどマジな話』より

■沖縄返還後も車は右側通行

那覇の国際大通りを行く東陽バス、後方には那覇交通が続く。自動車が右側通行だった(1975年)
那覇の国際大通りを行く東陽バス、後方には那覇交通が続く。自動車が右側通行だった(1975年)

 若い読者から「また爺の『昔はよかった』的な記事か」と呆れられそうであるが、今回は1970年代、九州、沖縄で印象に残っているバスを紹介しよう。

 1975年、筆者は初めて沖縄へ行った。沖縄は1972年にアメリカから日本へ返還され、その返還を象徴するように1975年に海洋博覧会があり、それを見に行ったのだ。

 返還されたといっても、道路交通は自動車が右側通行のままで、日本本土同様に、自動車が左側通行に改められたのは1978年のことである。つまり1975年は“ナナサンマル”以前、バスも右側通行で右側にドアがあったのだ。

 当時、筆者は海外未経験、本土と同じバスながら車体側面右側にドアのある車両に、「遠い所へ来た」と感じたものである。

■とにかくバスが活躍していた

九州国際観光バス(1975年)
九州国際観光バス(1975年)

 大分から長崎へは九州国際観光バスに乗車。やまなみハイウェイを通り、阿蘇へ、熊本に1泊し、翌日は天草五橋を渡り、フェリー航送して島原半島へ、最後は異国情緒漂う長崎に到着する。日本屈指の観光路線で、九州国際観光バスは当時としてはグレードの高い車両だった。

 阿蘇では火口原を行く「マウントカー」に乗車、窓が丸く、万が一阿蘇山が噴火して噴煙が飛んできても大丈夫という車両だった。

 宮崎では駅と青島海水浴場を夏季のみ運行の「水着バス」に乗車した。現在では考えられないルールがあり、水着で乗車しなければならないという条件だった。乗車券に「水着以外でのご乗車はご遠慮ください」とあった。

 鹿児島の大隅半島では、鹿児島交通の路線バスに乗って本州最南端の佐多岬を目指した。熱帯風の木々が生い茂り、東南アジアのジャングルを行くような車窓であった。

 その頃から福岡~長崎間には都市間バスの元祖ともいえる九州急行が運行していた。自動車道はないので、一般道経由である。

■すべてが昔話になってしまった

福岡~長崎間を結んだ九州急行は元祖都市間バスといえる存在だった(1977年)
福岡~長崎間を結んだ九州急行は元祖都市間バスといえる存在だった(1977年)

 1970年代の九州・沖縄を思い起こすと、とくに九州では、バスに「活気があったなあ」と感じる。現在ほどクルマ社会ではなく、公共交通としてバスが活躍、その公共交通を利用した旅が盛んであった。バスの運転手は憧れの職業的なもので、運転手不足で減便などというのは考えられない時代だった。

 九州は新婚旅行需要も高かった。その後、新婚旅行は海外が主流になるが、現在は結婚する人そのものが激減、新婚旅行需要も急減した。60年以上生きているとバス事情ひとつとっても、いろいろな変化があるものだと感じる。

【画像ギャラリー】阿蘇の火口を走る「マウントカー」に夏季のみ運行の「水着バス」!? ブッ飛んでいた1970年代九州・沖縄のバス(12枚)画像ギャラリー

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