【画像ギャラリー】日本車の至宝ピアッツァとアッソ・デ・フィオーリを写真でチェック!

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※アッソ・デ・フィオーリの写真、文はベストカー2013年10月10日号より転載

■アッソ・デ・フィオーリ

ピアッツァのプロトタイプ、アッソ・デ・フィオーリ
一見すると市販型と同じに見える
エンジンフードの先端の形状やフロントグリルの段数(Assoは3段、ピアッツァは4段)などが異なっている
マフラーの突出し位置(Assoは右、ピアッツァは左)も違う
前方に突き進むような鋭いプロポーションとウェッジシェイプのいっぽうでリア回りは曲面と曲線で構成。ボディサイズは全長4195×全幅1620×全高1278mm。ホイールベースは2405mm

■アッソ・デ・フィオーリとピアッツァの違い

アッソ・デ・フィオーリ。 まずボディパネルがひとつも同じものがない。ボディサイズはAssoがピアッツァに比べ、全長が115mm短く、全幅が35mm狭く、全高が22mm低くホイールベースも35mm短い(2405mm)
フロントウィンドウの傾斜角がAssoが24度、ピアッツァ28度。さらにリアハッチ傾斜角/エンジンフードの先端の形状/フロントグリルの段数(Assoは3段、ピアッツァは4段)/ドアノブ形状/ウインカー/ホイールアーチ/フロントバンパー/マフラーの突出し位置(Assoは右、ピアッツァは左)など、見た目は同じに見えるが大きく異なっている
いすゞ藤沢工場のテストコースで走行試験を行なった時の写真が残っていた。現在もレストア後のため走ることはできるがなかなか走行シーンは拝めない
鋭い眼光とノーズの低いフロントに対し、リア回りは丸く、柔和な印象。日本メルバー社が製作した5.5J×13インチのアルミホイールに195/70R13インチのタイヤが装着されている
分解されオーバーホールされたジェミニZZ用のG180型1.8L、直4DOHCエンジンを搭載している
中央のガーニッシュにはITAL DESIGN、ISUZU assoのロゴがある
ASSOのコクピット
ASSOのコクピット
ASSOのコクピットはエアコンやラジオを含む計器類の操作は左右のサテライトスイッチに完全に集中させるという考え方
ウインカーは上下に倒す小さなレバーが付いているスイッチで、ステアリングから手を離さずに操作できる。 インテリアの仕上げはショーカー兼用のプロトタイプだけにレザーの特質を生かしたラグジュアリーさが漂う。後部のラゲッジシェルフも豪華仕様
アッソ・デ・フィオーリ発表当時のコクピット

■1999〜2001年にレストアが行なわれた当時の写真

約20年もいすゞデザインセンターの倉庫に埃まみれになっていた状態を見かねて1999年から2年かけてレストア作業が行われた
社内から有志を募るとやる気のある若者を中心に集まったという。鈑金塗装、左側2本のホイールを復元、エンジンのオーバーホールなどを行なった
なかでも一番苦労したのはダッシュボードやメーター類、左右クラスターが紛失していたので、当時の写真や資料を元に作り直したこと。今後もいすゞの乗用車を残していってほしい

■いすゞピアッツァ

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ベストカー2013年10月10日号掲載「蘇ったピアッツァのプロトタイプ」

文/ベストカー編集部・小野正樹
写真/平野学

 ピアッツァの市販前夜、いすゞがイタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロに依頼し、1979年3月のジュネーブショーで発表されたプロトタイプ、Asso di Fiori(アッソ・ディ・フィオーリ=クラブのA)を紹介していこう。

 このAssoはいすゞ藤沢工場・デザインセンターの倉庫の中に20年近く埃をかぶっていたそうだが、1999〜2001年の2年間にわたってレストアされ、動態保存されているもの。

 今回、撮影するにあたって久しぶりに倉庫から出したというAsso di Fiori。いざ、実車を目の前にしてみると、「これが34年前の作品か。古さを微塵も感じない」と思わず口に出してしまうほど衝撃を受けた。

 低いノーズと鋭いウェッジシェイプ、空気抵抗を減らすために表面から極力段差をなくしたフラッシュサーフェス化された美しいプロポーションである。

 いっぽうリア回りは曲面構成で丸味を帯びている。ウェッジシェイプと曲面との融合を破綻なくまとめ、さらには広い室内空間をしっかり確保しているところにジウジアーロの力量を感じずにはいられない。

 インテリアもエクステリアに負けず劣らず、魅力的だ。計器類、コントロールスイッチはエレクトロニクス技術を基本にしており、ドライバーがステアリングから手を離さずとも指で操作できる範囲内にまとめられている。

 ジウジアーロが「あたかも楽器を演奏するように」というのも理解できる。

 このAssoのスタイルは、1970年代のジウジアーロが手がけてきた”Assoシリーズ”の終着点を示すものである。

 1973年のAsso di Picche(アッソ・ディ・ピッケ、アウディ80)、1976年のAsso di quadori (アッソ・ディ・クァドリ=ダイヤのA、BMW320)を経て、そして1979年のこのAsso di Fioriと名の付くシリーズは終了したとしている。

 当初は、ヒュンダイ・ポニークーペがAsso di Fioriになるはずだったが、発表の舞台となる1974年のトリノショー開幕の時点でヒュンダイはクーペを量産化する意向を示し、ヒュンダイ・ポニークーペの名で展示することが決まったことから、Asso di Fioriの車名を付けるのは見送られたという裏話もある。

 一連の作品のなかで共通しているのはシャープなウェッジシェイプを基調とした3ドアクーペであることだが、時代とともに微妙に変化しており、最終作品であるこのAsso di Fioriでは曲線と曲面を多用した、当時の彼にとっての新しいデザイントレンドである。

 ここでAsso di Fiori、ピアッツァが生まれた背景は、いかなるものだったのか、おさらいしておこう。

 1968年に117クーペが登場した後もいすゞとイタルデザイン、ジウジアーロとの関係は続いていた。時はスーパーカーブーム。イタルデザイン創設者のひとり、宮川秀之氏がスモールスーパーカー(SSC)をいすゞに打診。

 いっぽう、いすゞはイメージリーダーカーとして、ミドシップスポーツMX-1600の流れを汲む2シーターのスポーツカーと、スペシャルティカーの二面から検討していた。

 しかし販売方面から反対され、スポーツカーの開発を断念し、スペシャルティカー開発、社内呼称SSW(スーパースポーツワゴン)の計画がスタートする。

 1978年5月にはいすゞとイタルデザイン、ジウジアーロがジェミニのエンジンとシャシーを使って、1979年のジュネーブショーに展示するショーモデルを製作することに合意。

 いすゞ側からイタルデザインに提示した条件は、既存のコンポーネンツを利用して作るため、ベースはジェミニ。

 話題になるような斬新なスタイル、2+2+αの居住性と実用的なラゲッジを備えること、4〜5人乗りのスポーツワゴン的な位置付けと伝え、あとはイタルデザインの自由な発想に任せることになった。

 このSSW計画は大型車との混同を避けるため、社内呼称をニュー・スポーツ・クーペ(NSC)に変え、開発コンセプトを1/高性能、高品質。2/スタイル、技術面の先進性。3/社会との調和、時代の要請に合わせる。

 4/日常生活における高い実用性。5/磨かれたセンスと洗練された味わい。と決め、1978年夏にはいすゞ首脳陣が生産に向けてゴーサインを出し、ジウジアーロにデザインが発注されたのである。

 いすゞ側がイタルデザインに提示したデザインテーマは、1/先進的なデザインかつロングライフなスタイリング。

 2/快適な居住空間と優れた空力的造形を兼ね備えていること。3/インテリアデザインにおいてもほかと差別性のあるハイテックなもの。4/広がりのある価値観をもたせる。

 1978年末にはジウジアーロからアイデア・レンダリングが届く。送られてきたレンダリングは快適な居住空間と優れた空力性能との融合といえるもので、鋭いウェッジシェイプとフラッシュサーフェスのボディデザインをもっていた。

 いすゞはこのレンダリングを見た後、最終レンダリングを決定。イタルデザインへジェミニZZのシャシーを送った。

 そして、ジュネーブショーまで2ヵ月に迫った1979年1月、木型から鈑金によってスチールボディを作るランニングプロトタイプの製作が始まった。

 すでにジェミニのシャシー構造の改変は終了していたものの、突貫工事。ジュネーブショーの会場に持ち込まれたのはプレスデイ当日だった。

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