【画像ギャラリー】WRC参戦マシンの雄姿

ランエボV、VI、インプレッサSTI、歴代セリカGT-FOUR

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 1992年9月、三菱はCD9A型ランサーエボリューションを発売た。同車は、ギャラン VR-4で磨いてきたパワートレインをよりコンパクトなボディに搭載した、まさにグループA時代のWRCで勝つために企画された車両だった。ランサーエボリューショングループAラリーカーは1993年のラリー・モンテカルロにおいてデビュー。当初は苦戦したが、電磁多板式クラッチを採用した独自の電子制御アクティブディファレンシャルシステムを完成させると快進撃を開始。

WRCでは1998年の第5戦カタルニアから第13戦グレートブリテンまで参戦し、ランサーエボリューション(V)グループAは、WRカーと対等以上の走りを披露
WRCでは1998年の第5戦カタルニアから第13戦グレートブリテンまで参戦し、ランサーエボリューション(V)グループAは、WRカーと対等以上の走りを披露

 1995年のスウェディッシュ・ラリーでケネス・エリクソン操るランサーエボリューションが初勝利。翌1996年の同じスウェディッシュ・ラリーではトミ・マキネンが三菱での初優勝。マキネンは、この年はWRC9戦中5戦で優勝を飾るという圧倒的な強さでチャンピオンを獲得。

WRCグループAに1999年第1戦モンテカルロから2001年第10戦ニュージーランドまでの38戦に参戦し、1999年シーズンは第1戦モンテカルロ、第2戦スウェーディッシュ・ラリー、第4戦ポルトガル、第9戦ニュージーランド、第12戦サンレモで優勝し、3年連続となるドライバーズタイトルをトミ・マキネンが獲得。2000年シーズンは第1戦モンテカルロで優勝し、第9戦ニュージーランドからはフロントバンパーがTMEを模したものに変更された
WRCグループAに1999年第1戦モンテカルロから2001年第10戦ニュージーランドまでの38戦に参戦し、1999年シーズンは第1戦モンテカルロ、第2戦スウェーディッシュ・ラリー、第4戦ポルトガル、第9戦ニュージーランド、第12戦サンレモで優勝し、3年連続となるドライバーズタイトルをトミ・マキネンが獲得。2000年シーズンは第1戦モンテカルロで優勝し、第9戦ニュージーランドからはフロントバンパーがTMEを模したものに変更された

 1997年には4勝、1998年には5勝、1999年には4勝をそれぞれ挙げ、いずれの年においてもドライバー選手権を制覇。マキネンは4年連続でWRCチャンピオンに輝くという、前人未到の快挙を達成した。

 また、1998年にはもうひとりのドライバーであったリチャード・バーンズも2勝を挙げ、三菱はマニュファクチャラーズ選手権でもタイトルを獲得。

1997インプレッサWRカー
右はコリン・マクレー選手がドライブしたインプレッサ1998サンレモラリー出場車。左は22B-STIバージョン
右はコリン・マクレー選手がドライブしたインプレッサ1998サンレモラリー出場車。左は22B-STIバージョン
スバルが所有する1998サンレモラリー出場車(コリン・マクレー)を取材・試乗した時のもの
スバルが所有する1998サンレモラリー出場車(コリン・マクレー)を取材・試乗した時のもの
WRカーとなりグラマラスなボディとなった
WRカーとなりグラマラスなボディとなった
1998サンレモラリー出場車のインパネ 。マルチファンクションデジタルメーターという当時では最新鋭技術を搭載

 1992年11月、スバルは新型車であるインプレッサを発売し、グループAラリーカーを1993年8月からWRCに投入することを決定。インプレッサのデビュー戦が次戦に迫った1993年のラリー・オブ・ニュージーランドで、レガシィはコリン・マクレーによって、レガシィ初、そしてスバルにとっても初のWRC総合優勝を成し遂げた。

 記念すべき初優勝から3週間後、GC8型インプレッサ WRX グループAラリーカーが1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)でデビュー、いきなり2位に入賞。

 1994年には、カルロス・サインツがスバルに加入。アクロポリス・ラリーでインプレッサを初優勝に導き、そのままチャンピオン争いに加わるが最終戦RACラリー(現ラリー・グレートブリテン)でサインツは痛恨のリタイアを喫し、タイトルはトヨタのディディエ・オリオールが勝ち取る。

 そして1995年には、アグレッシブなドライビングでファンを魅了するマクレーがチャンピオンの座へと駆け上がり、スバルに初のマニュファクチャラーズタイトルをもたらせた。チームメイトのサインツもランキング2位に入り、スバルはドライバーとマニュファクチャラーのダブルタイトルを獲得。

 1996年もスバルはマニュファクチャラーズタイトルを獲得。そして1997年からグループAからワールドラリーカーに変更されると、GC型をベースにしたWRカー、インプレッサ WRCを送り出す。

 1997年、全14戦で行われたWRCにおいて8勝を挙げ、スバルは日本車メーカーとしては初となる3年連続でのマニュファクチャラーズタイトル獲得を獲得。

1989年のラリーオーストラリアでST165セリカGT-FOUR操るユハ・カンクネンが初優勝
1989年のラリーオーストラリアでST165セリカGT-FOUR操るユハ・カンクネンが初優勝

 1988年5月のツール・ド・コルスで初陣を飾ったST165型セリカ GT-FOUR グループAラリーカーは、デビューから1年ほどはさまざまなトラブルで思うような成績が挙げられなかったが1989年9月のラリー・オーストラリアではユハ・カンクネンが初優勝。

 そして1990年には一気に5勝をマークし、そのうち4勝を挙げたカルロス・サインツがシリーズチャンピオンに輝く。サインツ自身の初のWRCタイトル、トヨタにとっても日本車メーカーにとっても初のWRCタイトルだった。 

 1992年に入ると、トヨタは2代目のセリカ GT-FOURであるST185型のグループAラリーカーをデビューさせた。市販型では空冷式インタークーラーとセラミック製ターボチャージャーを採用していたが、ラリー競技には不向きなため、水冷式インタークーラーと金属製ターボを装着した限定モデル「セリカ GT-FOUR RC」(海外名は「セリカ GT-FOUR カルロス・サインツ リミテッドエディション」)を5000台限定で販売。この限定モデルでFIAのホモロゲーションを取得し、そのグループAラリーカーを成立させた。

 1992年1月のラリー・モンテカルロでデビューしたST185型セリカ GT-FOURは、同年4月、サインツがサファリラリーで初優勝を達成。その後ラリー・オブ・ニュージーランド、ラリー・カタルニア、RACラリーを制覇。サインツが三つ巴のドライバーズタイトル争いを制して2度目のWRCチャンピオンに輝いた。

1992年、ツール・ド・コルスで疾走するST185型セリカ GT-FOUR
1992年、ツール・ド・コルスで疾走するST185型セリカ GT-FOUR
 セリカGT-FOUR(ST185)/1992年にサインツ、1993年にカンクネンがチャンピオン、マニュファクチャラーズタイトルも獲得
セリカGT-FOUR(ST185)/1992年にサインツ、1993年にカンクネンがチャンピオン、マニュファクチャラーズタイトルも獲得
セリカGT-FOUR(ST205)/1994年にオリオールがチャンピオンを獲得
セリカGT-FOUR(ST205)/1994年にオリオールがチャンピオンを獲得

 1994年、ST205型セリカ GT-FOURのグループAラリーカーがラリー・オーストラリアでデビュー。そして1994年WRC4戦にワークスマシン、ST185セリカGT-FOURで参戦した藤本吉郎選手が、1995年4月、日本人初のサファリ・ラリー総合優勝を成し遂げた。

 1995年のWRCは8戦のみで行われたシーズンだったが、トヨタはST205型セリカ GT-FOUR グループAラリーカーを参戦させ、同年5月のツール・ド・コルスでオリオールが優勝を飾った。

 しかし、同年10月のラリー・カタルニアでの車両検査においてTTEのリストリクター技術規定違反が見つかり、FIAは同年のトヨタのすべての獲得ポイントの剥奪と1年間のWRC出場禁止を決定。これでセリカのWRC参戦は最後となり、カローラWRCでの参戦を待つことになる。

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