【フェアレディZはどこへ行く】50周年記念車にある「Zの志」と未来

歴代フェアレディZのスタイリングの変遷、240ZG、Z34型との比較、BRE DATSUN240Zほか

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S30Z:1969年10月~。写真はS20型エンジンを積んだZ432
S30Z:1969年10月~。写真はS20型エンジンを積んだZ432
S130型:1978年8月~。2トーンのボディカラーにTバールーフが特徴
S130型:1978年8月~。2トーンのボディカラーにTバールーフが特徴
Z31型:1983年9月~。エンジンがL型直6からVGのV6、2Lターボと3L、V6に切り替わった<br>
Z31型:1983年9月~。エンジンがL型直6からVGのV6、2Lターボと3L、V6に切り替わった
Z32型:1989年7月~2000年9月まで生産、2000年12月販売終了。30年の歴史にいったん幕を下ろし、2002年7月の5代目(Z33型)発売まで一時的に絶版車種となった。ヘッドランプは3代目のパラレルライジングタイプから再び固定式に戻された
Z32型:1989年7月~2000年9月まで生産、2000年12月販売終了。30年の歴史にいったん幕を下ろし、2002年7月の5代目(Z33型)発売まで一時的に絶版車種となった。ヘッドランプは3代目のパラレルライジングタイプから再び固定式に戻された
Z33型:2002年7月~。C・ゴーン氏の肝いりで2年ぶりに復活。ボディは2シータークーペと後にロードスターが追加された
Z33型:2002年7月~。C・ゴーン氏の肝いりで2年ぶりに復活。ボディは2シータークーペと後にロードスターが追加された
Z34型:2008年12月~。Z33型から700㏄排気量が増え3.7Lとなり、ホイールベースは100mm短縮<br>
Z34型:2008年12月~。Z33型から700㏄排気量が増え3.7Lとなり、ホイールベースは100mm短縮

1974年式フェアレディZ 240ZG vs
Z 50thアニバーサリー

1974年式240ZG(右)とZ34型のZ 50thアニバーサリー(左)
1974年式240ZG(右)とZ34型のZ 50thアニバーサリー(左)
リア回りのイメージは違うが、Cピラーの造形に面影が残っている
リア回りのイメージは違うが、Cピラーの造形に面影が残っている
スパルタンなZ 50thアニバーサリーモデルのインテリア
スパルタンなZ 50thアニバーサリーモデルのインテリア
240ZGのコクピット。ステアリングはナルディ・クラシックに変更されている<br>
240ZGのコクピット。ステアリングはナルディ・クラシックに変更されている
Z 50thアニバーサリーのロゴが入ったメーター
Z 50thアニバーサリーのロゴが入ったメーター
240ZGのメーター。デザインはZ34型に受け継がれているのがわかる
Z 50thアニバーサリーのダッシュボード上にある3連メーター
240ZGの3連メーター。これもZ34型に受け継がれている<br>
240ZGの3連メーター。これもZ34型に受け継がれている
Z 50thアニバーサリーの6速MTは剛性感も高く感触は良好だった
Z 50thアニバーサリーの6速MTは剛性感も高く感触は良好だった
240ZGの5速MT。ショートストロークではないが、初めて操作しても各ギアにしっかり入り、フィーリングもなかなかいい
240ZGの5速MT。ショートストロークではないが、初めて操作しても各ギアにしっかり入り、フィーリングもなかなかいい
240ZGのボンネットにあるエンブレム周辺
240ZGのボンネットにあるエンブレム周辺
このエンブレムを見て憧れた人も多いだろう
このエンブレムを見て憧れた人も多いだろう
Z 50thアニバーサリーモデルのBREカラーは街中を走っていると熱い視線を浴びた
Z 50thアニバーサリーモデルのBREカラーは街中を走っていると熱い視線を浴びた
1970~1971年のSCCA C-プロダクションクラスでシリーズチャンピオンに輝いたBRE DATSUN 240Z<br>
1970~1971年のSCCA C-プロダクションクラスでシリーズチャンピオンに輝いたBRE DATSUN 240Z
マルーンボディにZGノーズ、オーバーフェンダーがカッコいい
アイコンともなっているL字型のテールランプ
アイコンともなっているL字型のテールランプ
ロングノーズ&ショートデッキ、スポーツカーの王道といえるスタイルはいつまでも色褪せない
Pete Brock 1936年11月生まれ
Pete Brock 1936年11月生まれ

 BREことブロック・レーシング・エンタープライゼスは1966年、ピート・ブロックによって設立された。ピート・ブロックは元GMのデザイナーでコルベットデザインチームに在籍した後(1959年スティングレィレーサーコンセプト、1963年スティングレィ・スピリットウインドウ)、キャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンにおいて空力デザイナーを務めており、デイトナコブラクーペ(1963年)のエクステリアを整えた人物として知られていた。

 当初は日野自動車との契約でいくつかのレースカーの製作、デザインを手がけたが、BREサムライの斬新なデザインが、注目を集めることとなり、当時日野を買収したトヨタからもプロトタイプデザインの発注を受ける。トヨタは当時発表したトヨタ2000GTをBREでレースカーに仕立ててSCCAで走らせる構想をたて、契約交渉をトヨタと進める。

 しかし、トヨタは直前で契約交渉を撤回し、当時西海岸のトヨタ車ディーラー契約を獲得していたキャロル・シェルビーにトヨタ2000GTでのレース契約を依頼する。

 そこでピート・ブロックは日産との契約を進めることになる。当時のBREにはドライバー、エンジンチューナー、シャシー設計者など後の業界を代表する才能が集っていた。

 BRE DATSUNは活動を開始するや、はやくも初年の1968年のシーズンからフランク・モニス、ジョン・モートンなどの名ドライバーの活躍によりDプロダクションSO PACディビジョン優勝、1969年にもDプロダクションクラス優勝を重ねた。

 1970年に入るとBREはロードスターに替えて240Zを投入。最終的にはNo.46 BRE240Zは1970年のチャンピオンを獲得し、ロードアトランタで行われるチャンピオンシリーズARRC(アメリカン・ロードレース・オブ・チャンピオン)においてもBSR240Zを破り全米チャンピオンに輝いた。

 翌1971年になるとレース界隈では本格的なZ(ズィ)カーブームが到来。BRE240Zを多数のプライベーター240Zとポルシェが追うという構図となったが、プライベーターがやりがちな無謀なエンジンチューンを避け、慎重にバランスを取り、無理のないスペックでレースに臨んだ。

 こうして1971年のシリーズもBREが制覇し、ARRCも制覇。堂々の二連覇を果たした。続く1972/1973年にはボブ・シャープ・レーシングも同じくシリーズチャンピオンを獲得している。さらにこのカテゴリーにおけるZの連覇はチームこそ異なるが、実に1979年までの10連覇を果たしている。

 補足として著名な510ブルーバードのBREについても簡単に解説しておこう。

2001年に行われたモントレー・ヒストリック・オートモービル・レースに、30年ぶりにBRE510で参戦したジョン・モールトン

 1971年からTransAMシリーズにU25クラスが設定された。西海岸を中心に人気の高まっていた排気量2.5L以下の小型車を対象とするクラスで、BMW、アルファロメオなどのヨーロッパの老舗ブランドも名を連ねていた。BRE510は参加初年度の1971年からアルファロメオとシリーズ優勝を争う大健闘をみせる。

 シリーズ優勝の行方は最終戦までもつれ、ジョン・モートンの鬼気迫る走りでBREは見事シリーズタイトルを手にする。続く1972年はBREの独壇場となり、BRE510は強豪を圧倒し2年連続のシリーズチャンピオンに輝いた。

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