忘れられないクルマはあるだろうか。夢中になって乗り回したクルマ、大切な人の思い出とセットのクルマ、はたまた欲しかったけどついに手に入らなかったクルマ……。自動車評論家5人に、そんな思い出のクルマを「味」に例えて振り返ってもらった。(本稿は「ベストカー」2013年8月26日号に掲載した記事の再録版となります)
文:竹平素信、石川真禧照、松田秀士、飯田裕子、国沢光宏
■竹平素信の思い出深い味のクルマ──1973年型 ポルシェカレラRS
●思い出深い味のクルマ
コイツは超旨ながら激辛のラーメン味だったな。
30代の頃、憧れのポルシェを購入したく、中古車屋でたまたま発見したモノを試乗したんだが、予想を超えたハイテンションぶりにビリビリときたものだ。
まるでフライホイールがないかのような回転フィール、弾けるパワー感やサウンドといい、マジに頭もカラダもシビれるクルマだった。刺激性があって中毒性もある、そんな味だったな。
三菱ワークスのグループAラリーカーのランエボVI、コイツはあらゆる味を重箱に詰め込んだ“究極の味”だったぞ。
中華にイタリアン、日本食の一流シェフが味付けしたかのごとく。自在に操れてしまう走りの味はワシが経験した味で最も旨く、最も思い出深いもの。もう一度味わいたい。
【画像ギャラリー】激辛ラーメン? ホロ苦い飲み物?? 忘れられないクルマの「思い出の味」(7枚)画像ギャラリー■石川真禧照の思い出深い味のクルマ──日産ブルーバードSSS(410型)
●思い出すとホロ苦い味
初めて所有したクルマが日産の410ブルーバードSSSだった。
それはまだ免許取りたての若造には、充分すぎるほどに刺激的だった。1.6L、90psの性能は、今ではたいしたことはないが、当時はかなりパワフルだった。
20歳になり、当時流行だったじゅうたんバーで、ナンパした女の子と一緒に飲んだジンライムやモスコミュール。どちらも今となってはお子様向けの飲み物だが、当時はかなり大人の味だった。
ボクにとって、410SSSは、青春のホロ苦い飲み物だった。
その時から10年以上たち、仕事で欧州をクルマで取材していた。ある時、マツダのFRの626(カペラ)に乗った。そうしたらハンドリング、乗り心地ともに、日本のものとはまったく違い、欧州のブランド車に負けない走りをした。
その時のショックは、当時、日本では高価な飲み物だったワインが、欧州では水代わりの安い飲み物で、誰もががぶがぶと飲んでいるのを見た時に似ていた。大衆車といえどもしっかりとした足回りが普通な欧州車。
“普通”のレベルが違うことを思い知らされた。
【画像ギャラリー】激辛ラーメン? ホロ苦い飲み物?? 忘れられないクルマの「思い出の味」(7枚)画像ギャラリー■松田秀士の思い出深い味のクルマ──スパイスDFL
●ピリッとスパイスのきいた味
1990年のことでね。ボクはグループAでフォードシエラをドライブしていて、そのタイヤテストで西仙台ハイランドに居たんだ。
そしたら、グループCカーのタイヤテストを菅生でやっていて、あるチームが来てくれないか? と言ってきた。シエラのテストをちょっと早めに終わって菅生に移動し、残り1時間くらいのグループCのテストに参加したというわけ。
マシンはスパイスDFLというニューカー。
シートも合っていない状態でとにかく走ったらサスペンションがすごくきれいに動いてインフィールドが抜群に速いんだ。その頃のCカーは空力のため足をガチガチに固めるのが常識だったからね。
ボクはこのテストに飛び入り参加してトヨタや日産、ポルシェのなかに混じりいきなり2番タイムを刻んだんだ。それはね、クルマがすばらしかった!
レースでは故R・ラッツェンバーガーのサードトヨタを追いかけまわし一時2番手を走行。楽しかった。
その後、SWC最終戦のオートポリスでスパイスDFR、1992年のデイトナ24時間ではシボレーエンジンを搭載したスパイスのステアリングを握った。
本当にもう一度味わいたい、名前のとおりスパイスのきいた美味しいレースカーだよ。
【画像ギャラリー】激辛ラーメン? ホロ苦い飲み物?? 忘れられないクルマの「思い出の味」(7枚)画像ギャラリー
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