長年に渡って人気を保つシリーズがあれば、いつの間にか誕生していつの間にか滅びてしまった車種もある。メーカーの期待を一身に背負いながら、後継モデルを生むことなく終わってしまった車種はなぜダメだったのか? 今回は悲哀あふれる悲しき絶滅車を振り返ってみよう。
文/長谷川 敦、写真/スバル、ダイハツ、トヨタ、Newsprass UK、Favcars.com、ホンダ、マツダ
【画像ギャラリー】「過ぎたるは猶及ばざるが如し!?」絶滅するにはワケがあった? 短命に終わった悲しき絶滅モデルたち(13枚)画像ギャラリー未来型クーペは灼熱地獄に? 「トヨタ セラ」
まだまだバブル景気華やかなりし1990年、トヨタから風変わりなクルマが発売された。フランス語由来の「未来に向けてはばたく夢のある車」を意味する「セラ」という名称が与えられたそのクルマは、その名のとおりの羽ばたくような機構を持って登場した。
セラは3ドアクーペにカテゴリー分けされるクルマで、搭乗者数は4。これだけならこの当時それほど珍しくないものだが、注目はそのドアにあった。セラのドアは一般的な横開きではなく、まるでスーパーカーのようなガルウイングタイプを採用していたのだ。
正確には「ガル(カモメ)ウイング」ではなく「バタフライ(蝶)ウイング」と呼ばれる構造のドアだったが、上方に高々とドアを開いたその姿は、国産車のなかにあって異彩を放っていた。
さらに驚かされたのが、ルーフまでガラスのグラストップだったこと。ほとんどオープンカーと言ってもよいこの構造は抜群の開放感をもたらしたが、ご想像どおり、真夏の日本では直射日光によって室内は熱せられ、クラス平均より大きなエアコンでも対処しきれないほど室温が上がってしまったという。
意欲的な機構を盛り込んだにしては160万円~という控えめな車両価格など、見るべき点も多かったセラだが、残念ながらセールスは苦戦し、1996年には生産を終了。この時点での販売台数は1万7000台弱にとどまっている。
当時流行したデートカーとしての需要も期待されていたセラだが、バブルの波には乗れずに一代限りの歴史を終えている。
たった4年の命に終わった悲劇のV6モデル 「マツダ ランティス」
長い歴史において数々のユニークなモデルを登場させているマツダが1993年にリリースした4ドアセダン&5ドアハッチバッククーペが「ランティス」だ。
本来4ドアと5ドアは別々のモデルとして開発されていたとのことで、両車の違いは意外に大きいが、特に5ドアクーペモデルは個性的なスタイルからも注目を集めていた。
そしてランティス最大の特徴は、このクラスでは珍しいV型6気筒エンジンを搭載したモデルが用意されていたこと。排気量を確保しつつ全長を切り詰めることのできるV6エンジンの採用により、ランティスは5ナンバーサイズを守りながら十分なパワーを得ることに成功した。
この2リッターV6エンジンは170psという出力もさることながら、高回転までスムーズに吹け上がる特性も評価され、販売終了から25年が経過した現在でもV6モデルは中古車市場で人気を保っている。
当時新たに施行された新衝突安全基準適合車の第一号となるなど、安全性能も高かったランティスだったが、この時代のマツダは販売店5チャンネル化の失敗によるダメージもあって、多くの魅力を持つにもかかわらずセールスは伸びなかった。
結局ランティスは次期モデルを残すことなく1997年に製造販売が終了となる。独特なボディデザインにはファンも多かったことを考えると残念な結果であり、販売終了はランティスの正統な評価を反映していないとも言える。まさに悲劇の一台だった。
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