■「販売」は高級、しかし「開発」は……?
まずユーザーがレクサスを「高級車」だと思う理由。それはディーラーの存在だ。
レクサス誕生以来、ディーラーはお客様を神様と思い、商談スペースでは膝まずいてお迎えする。乗ってきたレクサス車は無料で洗車をしてくれる。
セールスマンは、レクサス誕生の13年前からの“おもてなし”の接客をいまでも守り続けている。レクサスが日本で高級ブランドをつくる、という誕生初期の志しは、おそらく当時から接客しているであろうセールスたちから受け継がれている。
いっぽう「つくり手」のメーカーは、当初は生え抜きのエンジニアたちが高級車づくりを一生懸命探っていた。「トヨタブランドとは違う!」という誇りを感じた。
ところが年月が経ち、担当者の異動がはじまる。ある時、カローラを担当していた技術者が、レクサスの担当になったりしはじめた。
おそらく13年間、レクサスの開発を担当している技術者は数えるほどになっているかもしれない。そこに、伝統の心はなかなか受け継がれることはないだろう。
材料などにお金をかけた内装は高価で高級かもしれない。しかし、心情的な部分や乗り心地などの高級さは、お金やデータだけではなかなか手に入らない。それを育てるだけの余裕と時間こそ、高級ブランドには必要なのだ。
アルファードやヴェルファイアなど、高額なワンボックスカーをラインナップしたが、それらは乗り味や音に関しての高級感はない。そこには装備や素材などお金で買える高級感があるだけなのだ。
「高級車」というブランドを手に入れるには、時の流れとこだわりと、心の余裕が大切なのだということだろう。
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