初の2階建てバスのドリーム号がこのドリームふくふく号だ。すでに夜行路線は出そろっていたが、本州最西端の山口県へともなると乗車時間も長く、シートで寝ているだけの窮屈路線。しかし1991年、1階席部分をサロンにした豪華で贅沢なニューフェイスが誕生した。
●ドリームふくふく号 東京―山口―湯田温泉―下関
ジェイアールバス関東(相手方:サンデン交通)
乗車・撮影日1993年5月
(記事の内容は、2021年9月現在のものです)
文・写真/石川正臣
※2021年9月発売《バスマガジンvol.109》『思い出の長距離バス』より
■仕事帰りの人々が注目!? 東京駅夜行便のトップバッター
夜行便乗車時の夕暮れ前を体験してみたくなり、初夏に乗車することにした。まだ明るい東京駅、夜行が発車する時刻には早いが、下関行きが昼行便と並ぶ光景だった。週末だったが満席ではなく、余裕のある車内で東京駅を後にした。
高速入りし、やはり2階は揺れる印象があるが、それをカバーするハンドルワーク。特にカーブが大きな首都高速では減速を忘れていない。夜が更ければもっとにぎやかになるであろう六本木交差点を、ハイアングルから眺める。
住宅街は見降ろし、マンションは同じ目線となる車窓。高い防音壁の上からの景色を眺められる高さには至らないのは残念に感じた。
首都高速を3号線入りし、渋谷の街もまだ静かにうかがえる。東名までは直線となるが、首都高の中でも特に狭い区間なので、わずかなカーブも気を抜くことはできない。用賀の料金所を過ぎて東名入りし、神奈川県へ入ると夕陽は沈みきって、周囲は暗くなってきた。
東名高速のクルージング、最初は富士川サービスエリアで休憩。近年まで貸し切り観光バスが2階建てバスを運行していたからか、珍しそうに見に来る人は少なかったが、下関という行先や定期便であることに驚いている人はいた。
■消灯からモーニングコール。夜が開ければラストスパート
早めの消灯となったが、夜はまだ長い。1階席は照明で照らされて明るく、このリラックス空間でくつろぐ人で席は埋まっていた。ここでゴロ寝されないよう、座席には高いひじ掛けがあり、長椅子は設置されていなかった。
下関は韓国・釜山への玄関口でもある。明日乗り継ぐそうで、同じアジアの仲間と親しくなれた。夜が更けていくと散々に2階席へと戻る。
陽が上りモーニングコール。早朝の下松サービスエリアで洗面の時間がもてるよう、長めの休憩だ。昨夜の富士川に比べると静かな緑の中の空間。やはりマイカーや長距離トラックに囲まれるが、東京発の表示に驚く人もいた。
山口県入りして湯田温泉、山口駅と、こまごま停車する中で観光目的だった人が降りていく。いよいよ下関市内へ入る。左手に関門海峡、その対岸は九州。行きかう船の往来、青い海に見とれて走行しているとやがて終着の下関駅に到着。
走行距離も長く、5年でスーパーハイデッカーに代替となる。車両コストも安くはなかったのだろう。メンテナンスも大変だったのかサンデン交通も代替後はスーパーハイデッカーとなったが、それよりも利用率が低く、横浜経由になるなど改善もしたが、2006年に運行は取りやめとなった。
ドリームふくふく号は長距離のバス旅も楽しさを教えてくれた。今後、またこんな長距離バスがまた登場することを今でも願っている。
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