日本一アツい“ハコ”レース、スーパーGTは今週末、11月13日のもてぎで、ついに最終戦を迎える!!
そのスーパーGTで2年連続チャンピオンに輝いている松田次生がレース人生で最も「嬉しかった瞬間」、「悔しかった瞬間」とは? 本誌独占でお届けします。
ベストカー2016年3月26日号
写真:折原弘之、NISMO、TOYOTA、Williams、MOBILITY LAND
レース人生で最も嬉しかったのはGT2連覇を決定づけたあの瞬間
──まずは、このテーマから聞きたいのですが、20年以上のレース人生を振り返って一番嬉しかった瞬間は?
松田次生選手(以下、松田) やっぱり一番は、昨年のスーパーGT最終戦(ツインリンクもてぎ)で、2連覇を決めた瞬間ですね。
──あのレース前まで、12号車のインパル(カルソニックGT-R)がランキングトップで、NISMOの松田選手はそれを追いかける形。状況はかなりインパル有利でしたね?
松田 そうですね。予選12位スタートからダメだと思っていた決勝でチームメートのロニー(=クインタレッリ)が追い上げて、クルーが最速でピット作業をし、僕に交代。
自分のマシンはタイヤがまだ温まっていない状況で、後ろからレイブリッグ(NSX=100号車)やインパルが追い上げてくる。……あの1周を抑えられた瞬間ほどの出来事は今までのレース人生ではないですね。
──チェッカー後の松田選手の表情も印象的でした。
松田 僕、レースで泣くことってほとんどないんですけど、あの時は嬉し涙がでてしまいましたね(笑)。
Fニッポン時代の悔しい思いが、飛躍のきっかけに
──では、逆に松田選手自身が一番「悔しい」と思った瞬間について聞きたいのですが。
松田 2004年頃、フォーミュラ・ニッポン(=現スーパーフォーミュラ)で走っていた時ですね。自分としてはいい走りをしているんだけど、マシンに恵まれなかったこともあり、なかなか結果に結びつかない状況でした。
──フォーミュラ・ニッポンでは、2002年までナカジマレーシングに所属していましたが、2004年はセルモに移籍して2年目のシーズン。成績はシリーズ11位という結果でしたね。
松田 そうですね。デビューした年に史上最年少優勝(2000年第3戦)をして“図に乗ってしまった”部分もあったと思います。そこから一回落ちて……落ちた時がやっぱり苦しかったですね。
──しかし、その後2007、2008年には連続でフォーミュラ・ニッポンチャンピオンを獲得しています。当時苦しんだ原因は何だったんでしょうか?
松田 初優勝した時は、トップチームでクルマも完成された状態でした。そこから中堅のチームに移籍した時に、自分でクルマのセットアップができなかった。これが一番大きいと思います。いいクルマを作る方向性やパーツに関する知識、そういったことを知らなすぎた部分もありました。
──今思えばドライバーとしてのセッティング能力が足りなかったのが原因だと。
松田 はい。自分の腕には自信があるのに、どうクルマをセットアップし、速くしていけばよいのかという部分で欠けていた部分がありました。
でも、当時苦しいなかでクルマのことを勉強できたことが、(後に)フォーミュラ・ニッポンで2連覇できたこと、そして、今のスーパーGTでチャンピオンを獲れたことにも活きていると思います。
──最後に松田選手の今シーズンの抱負を教えてください。
松田 スーパーGTでは3連覇を目指して頑張りますので、応援よろしくお願いします!!
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