ホンダの米国市場での販売が苦戦しているという。
2019年10月に発表された9月の対前年同月比の販売台数で、米国ホンダ全体では-14.1%、ホンダ車で-13.7%、アキュラ車で-17.9%であるという。
それぞれの統計は、米国で販売される乗用車とトラックに関する合計で、ホンダ車では乗用車のほうが落ち幅は大きく、アキュラ車ではトラックの落ち幅が大きいという結果だ。
一方で、単月での販売台数の上下はあまり意味がないというのが私の考えだ。年間を通じ、あるいは数年の動向を踏まえながら、その車種や自動車メーカーの状況を判断すべきである。
とはいえ、米国でホンダの主力車種の一つであるアコードが、競合であるトヨタ カムリとの販売競争で力を落としているのは気になるところだ。
文:御堀直嗣
写真:HONDA、編集部
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ホンダが米国で作り上げたイメージと「アコード」の善戦
1980年代後半から90年代にかけて、米国ではアコード、カムリ、そしてフォード トーラスの3車による年間販売台数の競争が激化していた。
そこからまずトーラスが落ち、そしてカムリは15年連続米国乗用車販売の1位を続け、2017年に同社のRAV4に首位の座を譲ったが、この間、アコードは善戦しながらもトヨタ勢から1位を奪還できずにいる。その裏には、なにか原因があるはずだ。
ホンダは、2輪車販売を柱とした創業期の1950年代から、米国市場への進出を模索し、米国では大型バイクが主流であったが、小型のカブによって新たな顧客層を切り拓いた。
「素晴らしき人ホンダに乗る」という広告宣伝とともに、バイクに乗ることを、大柄で力強い男の乗物から、女性でも気軽に移動できる乗物へ、新風を吹き込んだのであった。
後の小型車シビックにおいては、1970年代の排ガス規制にCVCCエンジンでいちはやく適合し、環境性能に優れた小型車という価値を米国消費者に訴えかけた。
さらには、日本の自動車メーカーとして早くから米国に現地生産工場を建て、79年に2輪、82年には4輪の生産をオハイオ州で開始し、米国人の雇用に貢献している。
こうしたホンダ独自の米国市場開拓により、米国には熱烈なホンダファンが存在する。マーケティングではロイヤルカスタマー(優良顧客)との表現になるだろうか。
私が知り合った米国人の一人は、ホンダの芝刈り機を持ち、ホンダの2輪を愛し、アコードに乗り、ホンダのキャップをかぶって出掛ける。ホンダ車のみならず、そうしたホンダ製品を愛好する人々に支持されてきたのが米国でのホンダ像であろう。
拡大路線で変化? カムリ擁すトヨタとホンダの違い
ところが、2012年にホンダの伊東孝伸社長(=当時)が、年間販売台数で600万台を目指すとの方針を掲げ、それまで400万台規模のメーカーを約1.5倍に拡大しようとした。
当然、ホンダの主力市場である米国にも販売増の圧力がかかったはずだ。そうなると、必ずしも優良顧客の支持を得るだけでは数を伸ばすことはできず、幅広い顧客へ手を広げていかなければならない。
ある自動車メーカーのOBによれば、米国で販売台数を大きく伸ばそうとすると、あらゆる階層へ販売することになり、状況によってはブランドイメージを損なう恐れがあると語った。
1950年代から、国内はもとより米国においても独自の販売網によりホンダファンを増やす売り方をしてきたホンダが、心底ホンダを愛する人以外へも売りはじめたことで、米国におけるホンダブランドらしい魅力を失いはじめた可能性はある。
では、なぜトヨタは、カムリで15年連続の販売台数1位を堅持しながら、米国市場でなお堅調さを誇っているのだろうか。
トヨタは、創業以来国内においても有数の自動車メーカーとして数で勝負する販売を続けている。そのために、幅広い車種を設け、また良品廉価の値付けで、耐久にも優れる、道具としての価値をクルマに持たせてきた。
豊田佐吉が自動織機で創業したように、その精神の根底には道具として壊れず働き続けることに価値を置いているはずだ。
実際、米国市場においては中古車のカムリでさえ盗難にあうとされてきた。なぜなら、カムリの部品は中古であっても丈夫で性能が保証され、売れる価値があるからだ。
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