ミニバンが、日本のファミリーカーの定番となって以来20年ほどの年月が経った。現在の日本車のミニバンは、ミドルクラスより上のものだと全高が1700mm以上あるボックス型がほとんどとなり、ボックス型以外のミニバンはステーションワゴン的なトヨタ「プリウスα」とホンダ「ジェイド」くらいである。
しかし、日本のミニバンの歴史を思い出すと現在のボックス型以外も少なくなくなかった。またそのなかには、現在も定着しているものや外国車に影響を与えたものもあり、当記事ではそんな時代を変えた個性派ミニバンを振り返ってみたい。
文/永田恵一
写真/NISSAN、TOYOTA、MITSUBISHI、MAZDA、SUBARU
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■日産 初代プレーリー(1982年)
日産の「初代プレーリー」の登場まで日本車で「多人数が乗れる3列シート車」は現在のハイエースのような商用バンを3列シートに仕立て直したものしかなかった。初代プレーリーはそんな時代に当時のミドルクラスに属するFF乗用車をベースとした日本車ミニバンの元祖として登場したのだから、そのインパクトは強かった。
初代プレーリーは今でいうミニバンというコンセプトに加え、未だに初代プレーリー以外例が浮かばない両側センターピラーレスのスライドドアの採用や3列シート車だけでなく「広いキャビンを比較的少人数でゆったりと使う」という狙いで2列シート車も設定した点なども新鮮だった。
初代プレーリーはクルマとして見ると、両側センターピラーレスドアの採用によるボディ剛性の弱さや、物足りない動力性能など未完成なところも多々あったが、日本車においてミニバンというジャンルを開拓した初代プレーリーの功績は偉大だ。
■三菱 デリカスターワゴン(1979年から1999年)
三菱「デリカスターワゴン」は、当時のトヨタ「タウンエース」などと同じ車格に属する、商用バンベースの乗用1BOXカーとして初代モデルが1979年に登場した。1982年には1BOXカー初となる4WDも追加され、デリカスターワゴンの4WDは当時の「パジェロ」などと同様の副変速機を持つ本格的なものだったのもあり、このときから「デリカと言えば悪路や雪道にも強い1BOXカー」というイメージが付き始めた。
デリカスターワゴンは、1986年に初代モデルから正常進化を果たした2代目モデルにフルモデルチェンジされた。また、デリカファミリーには2代目スターワゴンに加わる形で、1994年に当時のパジェロをベースとした「ミニバンに軸足を置いたSUV」ともいえる「デリカスペースギア」が登場。
このコンセプトは、乗用車ベースなったものの2007年登場のデリカD:5に引き継がれた。デリカD:5は、2019年に超ビッグマイナーチェンジを受けながら現行モデルとして販売され、中心価格帯は400万円越えという高額車ながら現在も唯一無二のミニバンSUVとして月1000台以上という堅調な販売が続いている。
■トヨタ 初代エスティマ(1990年)
トヨタ「初代エスティマ」は短いノーズを持ち、2.4L直4エンジンを床下に傾斜させたミッドシップレイアウトで搭載し、FRを基本とし4WDもあるというラージミニバンだった。
初代エスティマは、”ビッグエッグ”と呼ばれた卵のようなスタイルや高級感あるインテリア、ミッドシップレイアウトだけにハンドリングもシャープと全体的に乗用車的だったこともあり、当時の1BOXカーを含めたミニバンでは圧倒的なステータスを持っていた。
これに気をよくしたトヨタは、1992年に初代エスティマを5ナンバー化し、価格も大幅に引き下げた「エスティマ ルシーダ&エミーナ」を加えたほか、モアパワーの声に対応して1994年のマイナーチェンジではエスティマにスーパーチャージャーも追加した。
しかし、初代エスティマはミッドシップレイアウトゆえのフロアと生産コストの高さという大きな弱点もあり(それもあって初代エスティマはモデルサイクルが10年という長寿車になった)、2000年登場の2代目モデルではオーソドックスなFFレイアウトとなり、未来的で可能性も感じられたミッドシップレイアウトは一代限りで姿を消した。
さらに2019年、エスティマ自体も13年間生産された三代目モデルで絶版となり、このことには時代の変化を痛感させられる。
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