レーシングドライバーとしてこれまでさまざまなマシンに乗ってきた中谷明彦氏。そんな氏が一度は乗ってみたいと思っているマシンは何であろうか? F1マシンを操るレーサーはなにがスゴイのか。中谷明彦氏が改めてレーシングカーを操るということはどういうことかを解説する。
文:中谷明彦/写真:小塚大樹、富士スピードウェイ、フェラーリ、Red Bull Content Pool、ホンダほか
Hパターンシフト時代の限界点
これまでのレーシングドライバー生活の中で、自身がドライブしてきたレーシングマシンの系譜を辿るってみると、1970〜90年代にかけての日本のレースシーンは車両規格と技術革新の縮図であったように思える。
レーシングカートからFJ1600、FL-B、シビックレース、シティ・ブルドッグレース、ミラージュ・カップ、ゴルフ・ポカール、N1耐久、そしてグループAやニューツーリング、全日本F3、F3000、グループCさらにはGT選手権やスーパー耐久まで、カテゴリーごとの特徴は異なれど、「人間が機械を操る」ことを前提とした時代だった。
いずれもクラッチ操作とHパターンのシフトレバーを介し、機械的リンクを直接操作して変速する行為は、運転者の技量をそのまま性能に転化させるような行為でもあったと言える。
しかし、そうした「肉体を介した操作」は、限界点も同時に存在していた。高G領域での操作、瞬時のギア選択、シフトミスによるトラブル、そして肉体的疲労。これらは熟練と鍛錬によって克服可能な領域ではあるが、同時に人間の反応速度・持久力という物理的制約を超えることはできず、克服できない領域があることも否定できなくなっていた。
パドルシフト導入が変えたもの
F3000マシンが発する横GやグループCマシンのカーボンブレーキが発する制動Gは強烈で、眼のコンタクトレンズが横に飛ばされ、鼻の先端に頭内の血液が集中するようだった。ヘルメットの中では全員が歯を食い縛り、頬は歪んでいたはず。
最近の F1マシンはさらに凄まじいようで、リアム・ローソン選手が「顔が引きちぎれるようだ」と表現していたのも理解できる。
そんな自分の現役期終盤、国内レースカテゴリーにはまだ「パドルシフト」というシステムは存在していなかった。1990年代初頭にF1がセミオートマチック・トランスミッションを採用し始めた頃、国内では依然としてHパターンシフトが主流であり、クラッチ操作とシフトワークがドライビングの核心にあった。
パドルシフトがもたらしたものは、単なる操作の簡略化ではない。人間の入力を電子制御が補完することで、変速時間が劇的に短縮され、パワーデリバリーが途切れない。これは車体挙動の安定性に直結し、結果としてタイムの向上とドライバーの集中力維持を可能にした。
現役時代においてこの技術が導入されていれば、肉体的負担の軽減とともに競技寿命は確実に延びていただろう。特にF3000のようにステアリング操作が重く、連続的な高負荷が続くカテゴリーでは、パワーステアリングとの併用がもたらす恩恵は計り知れない。
フォーミュラマシンには技術革新の本質が詰まっている
実際、初めてF3000で電動パワーステアリングを使用した際、その操舵力負担の軽減は衝撃的だった。その時点で同時に2ペダル化が進んでいれば、操作系統は完全に人間の操作限界を超える領域に及べていたはずである。
近年、パドルシフト仕様のF4車両を試乗する機会があった。現代のエントリー・フォーミュラとはいえ、電子制御の精度は極めて高く、クラッチ制御・点火カット・シフトタイミングの連携は高い完成度を示していた。変速の瞬間にわずかなトルク抜けを感じる程度で、挙動変化はほとんどない。操作は軽く、変速動作の確実性、効率性が圧倒的である。
これに慣れてしまうと、従来のHパターン操作は明確な「タイムロス要素」として認識され、競争力を失った。そこに技術進化の本質がある。「中谷シフト」として知られるアクセルを戻さぬまま素早いシフト操作を行う方法は、タイムロスを最小化するために自然発生的に生まれた操作法だった。
それを機械が自動で確実に行ってくれるのだ。
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