2026年4月29日(水・昭和の日)、モビリティリゾートもてぎ(以下もてぎ)を会場に「2026 グッドオールデイズもてぎ」が盛況に開催されました。
このイベントは、”古き良き時代を肌で感じられる参加型イベント”として、もてぎでは2007年に2&4グッドオールデイズ EASTとしてスタートしました。
今年の特別企画は「ヨシムラとホンダのレーシングヒストリー」です。
ヨシムラジャパンの2代目社長を歴任し現在は相談役として活躍されている吉村不二雄氏をゲストに迎え、ゆかりのマシンによるデモンストレーションランとトークショーが開催されました。
恒例のヒストリックバイク動態確認走行会には100台以上がエントリーし、国際レーシングコースにエキゾーストサウンドを響かせました。
今年はYOSHIMURA ヨシムラ不二雄氏がもてぎを走った
レーシングスーツに身を固めた吉村さんは、ピットに訪れたファンの人たちと気さくに交流されていました。
吉村不二雄氏がもてぎを走るという特別な企画は、大勢のファンが見守る中で行われました。
チューニングをメインとしたヨシムラの黎明期を語る
ヨシムラジャパンが手掛けたレーシングパーツやストリートモデル用のマフラーは、今では身近な存在ですが、創業期からアメリカに進出するまでは、お客様の要望に応じて1台1台にチューニングを施す活動を行っていました。
ドリームCB72のチューニングもその活動の一環でした。
トークショーでは、ヨシムラの壮大な挑戦の序章が紹介されました。
栗田:最新のヨシムラさんのニュースと言えば、先日行われた世界耐久選手権のルマン24時間で2位表彰台を獲得したことです。相談役としての吉村さんの役割はどのようなものですか。
吉村:はっきり言って、あまりないね。(笑)今のレースは、とてもシステマチックになっていて、少しばかりのアドバイスをするくらい。代表の加藤が上手くやってくれている。立派だよ。
栗田:では、今ほどシステマチックになってなかった時代から話を進めたいと思います。このCB72は、吉村さん自身が乗っていたわけですね。
吉村:最後に乗ったのは、1967年か1968年のMFJの全日本レースで、予選中に転倒してしまった。タイムは結構出ていたけど決勝は出場できなかった。
今日は、それ以来のライディングだったけど、やたら振動がすごかった。
今乗っているバイクとは比べ物にならない。評価のしようが無いほど、技術の進歩は目覚ましいね。
栗田:ヨシムラの名前を全国に広めたのは、1964年の鈴鹿18時間耐久レースで、300ccのヨシムラCBが優勝したことがきっかけとなりました。
吉村:1960年代は、お客さんが持ち込んだマシンを要望に応じて1台1台チューニングをして、レースで好成績を挙げられるようにすることでした。したがって、ヨシムラが手掛けたマシンで同じものは1台もないわけです。
栗田:当時は、BMWなど性能が高い外国車もありましたが、CB72とCB77を多く手掛けた理由とは。
吉村:ホンダは世界GPで活躍するようになって、発売されたCB72はデザインも性能も優れていた。親父はレースで勝てるマシンを造りたかったのでCBを選んだようです。
なにしろ、外国車に比べると価格も安いですから、お客さんも幅広かった。
栗田:現在は、多くのレースファン向けにレーシングキットパーツがありますが、そのような取り組みは無かったのでしょうか。
吉村:CB72や77のパーツはパンフレットで紹介していましたが、パーツ単体を販売してもお客さんは組めないから、やはり持ち込まれたマシンに組み付けるのが当時のやり方。
CBは、チューニングを施すことでパワーが上がった。もともと伸びしろがあるエンジンだったので、多く手掛けることになった訳です。
栗田:ヨシムラの成功は、1970年代のアメリカ進出と深い関係にあります。
吉村さんは、POP吉村が手掛けるパーツの数値化に取り組んだようですが。
吉村:親父ならではの”勘”で一つ一つ造りあげていましたが、それではうまく継承できないので、数値化をして均一の品質を保つために結構な設備投資もしました。
栗田:アメリカは、日本と違ってレースのユーザーも多いし、市場も大きかったと思います。
吉村:当時は、チューニングショップが手掛けたマシンの中で不調を訴えるケースが多かった。
不調の要因がエンジン内部なのか、キャブなのか、排気系なのか特定できないことも。
我々が行ったことは、マシンの特性に合わせて、キットパーツをパッケージにして提供するやり方でした。
栗田:性能を保証したパッケージでの販売は、お客さんは不特定多数ですから、理にかなった方法ですね。
吉村:1971年にアメリカのクラウス社と組んでCB750FOURでデイトナに挑戦してから、本格的にアメリカで活動するようになりました。カワサキからは、Z1のチューニングを依頼され、3台製作しました。2台は24時間用、もう1台はスピードレコード用で10個くらいのレコードを達成しましたね。
アメリカのデイトナレースに出場したCB750レーサー。#10が1972年のヨシムラ・クラウスCB750 世界初の集合マフラーを装着し注目を浴びた。#15が1973年のCB750 隅谷守男氏により6位入賞(2025年 ホンダコレクションホールの展示シーン)
栗田:アメリカは、日本に比べるとモータースポーツのすそ野が広いと思います。
吉村:過去に、バーバーヴィンテージモータースポーツミュージアムに招待されたことがあったのです。ここは世界最大級の博物館で、レース場も隣接していて3日間のイベントに8万人も集まるのです。レースマシンのオークションもあり、モータースポーツの世界で資金が上手く回るようになっているのです。
何事も、資金がある程度必要ですから、お金をいかにうまく回るような仕組みを考えないと、日本にある貴重なヴィンテージマシンが海外に流出してしまうかもしれない。
栗田:今年のグッドオールデイズもてぎは、ヨシムラ効果もあり多くのエントラント、そしてお客さんが集まってくれました。
吉村:アメリカはずっとヴィンテージイベントを継続している。日本でももっと社会的なステータスを向上させる活動も積極的に行って、長く継続していってほしい。それが私の願いです。
栗田:今日は、ヨシムラジャパンの黎明期からアメリカ進出までを語っていただきました。またこのような機会を設けていただき、続きの話を語っていただければと思います。本日はありがとうございました。
世界遺産級のマシンがサーキットに集結
サーキットを走るために、市販車をベースにレーシングマシンに仕上げた数々のマシンをはじめ、生粋のレーシングマシンも加わり会場は世界遺産の様相を呈していました。
その中から、個人的に目を引いたマシンを紹介いたします。
※年式と車名はエントリーリストを参照しました
会場シーン あれこれ
グッドオールデイズもてぎは、”継続することの大切さ”を教えてくれるイベントです。
日本の二輪車メーカーは、1960年代には世界をけん引する技術力と生産技術を確立しました。以降60年以上もその座を堅持しています。
そこには、たゆまぬ技術の研鑽とものづくりへの挑戦が連綿と続けられてきました。
先人たちが築いてきた「ものづくりの素晴らしさと楽しさ」をこのイベントで実感することができます。
若い人たちから年配者まで元気になれるイベントとして、今後もアイデアを駆使してさらに発展することを願っています。
詳細はこちらのリンクよりご覧ください。
https://news.webike.net/motorcycle/532025/
2026 グッドオールデイズもてぎ レポート =吉村不二雄氏が60年前のヨシムラチューンCB72でサーキットラン=【画像ギャラリー】
https://news.webike.net/gallery3/532025/532056/



























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