「世界一の複雑さ」ともいわれる首都高(首都高速道路)。ビルの中を縫うように曲がりくねっていることや分岐が多数あることのほか、多くの方が苦手意識を持っているのが右側に出入口があることではないでしょうか。なぜ首都高は出入口が右側にあることが多いのでしょうか。右側合流の苦手意識を緩和するポイントとともに、ご紹介します。
文:吉川賢一
アイキャッチ画像:写真AC_MuddyFox
写真:首都高速道路、Adobe Stock、写真AC
最小の土地面積で出入口を建設したため
首都高は、都内で頻発していた交通渋滞を緩和するための「自動車専用道路」として、1962年12月に誕生しました。京橋~芝浦間の4.5kmが開通したのが、首都高としてのスタートです。
当時すでに東京都心部は開発が進められており、建物が多く並び、幹線道路があるところへ、首都高を建設する必要がありました。道路自体は、川の上や道路などの公用地の上空を使用する方法で進めることができましたが、ほかの高速道路にあるような大きな敷地を必要とするインターチェンジの建設は困難。
苦肉の策として考えられたのが、上り線か下り線(内回りか外回り)どちらかの入口(出口)として機能を絞ったうえで、首都高の道路を支える橋脚の間を活用して、幹線道路の中央分離帯エリアから首都高へ出入りする方法でした。こうすることで、右側出入口にはなりましたが、最小の土地面積で出入り口を設置することに成功したのです。
首都高に多くある右側出入り口は、一般道の追い越し車線から、中央分離帯の方向へ、右進入することで入口ゲートに到着します。ゲートをくぐった後は、短い加速レーンを通過して、本線の追い越し車線へ右側から合流となります。上りか下り(内回りか外回り)か、間違えないようにする注意は必要ですが、周囲の改修規模を抑えることができたという、非常に合理的につくられたシステムでした。
ちなみに、首都高は開通から半世紀以上が経過したことで、構造物の高齢化と過酷な使用状況が懸念されています。首都高の総延長距離は約327.2km、そのうち、6割以上(約217km)が30年を超え、2割が50年以上経過している状況です。そのため首都高は現在、大規模なリニューアルプロジェクトを実施しており、一部は地上の建造物を辞め、地下へと道路を移設する計画も立てられています。
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