■ワンマン化以降多く見られた中扉上部の設置
ワンマン化が進む1960~70年代、中扉直上部に方向幕を設置するスタイルは、2扉ワンマンバスに踏襲されていく。【写真2】は富士急行の1970年代のワンマンカーの様子だが、このように中引扉の直上に方向幕が位置するスタイルは、一時期のワンマンバスの一般的な姿と言える。
この写真の2台は前が帝国ボディの日野RB10、後方が川崎ボディの日野RE100だが、川崎ボディが窓上の直線の雨樋の上部に設置されているのに対し、帝国のこのタイプのボディは中扉と戸袋部分の雨樋がドアのすぐ上の位置まで下がっている。
それによって、固定窓の下に雨樋があった富士重工などと同様、若干低い位置に幕板方向幕が設置されていることがわかる。
なお、この当時富士急行のワンマンバスは「前乗り前降り」だったが、あまり乗車位置と方向幕位置は関係なく決められていたケースが全国的に多かった。
次第に乗車扉の位置と方向幕の位置が考慮されていく中で、富士急行もそうだったが方向幕を窓内に収めるタイプに変更して行ったり、幕板方向幕でもその位置を工夫したりする傾向が出てきた。
■さまざまな位置が選択された幕板方向幕
【写真3】は中鉄バスの前後扉ワンマンバスだが、後扉の直上に幕板方向幕を設置したタイプである。乗車位置と方向幕を合わせた結果と言える。
画像ギャラリー内【写真4】は1970~80年代の新潟交通に標準的だった前後扉の真ん中の幕板に方向幕を設置し、直下の窓を引違いとした特異なタイプである。後乗りの郊外線に合わせて最後部に設置すると前方から見にくいからという話を当時伺ったが、正確な理由はよくわからない。
同じ新潟交通の前中扉車の方向幕も、中扉直上ではなく少し前にずれている(画像ギャラリー内【写真5】)。西鉄がこの位置を好み、1980年代まで変わらなかった(画像ギャラリー内【写真6】)。
画像ギャラリー内【写真7】はこんな場所もあったという事例。宮城交通の旧仙南交通から引き継いだ車両で、前扉の次位の幕板に方向幕を設置したものだが、その部分の客室窓は車掌台仕様になっており、これも正確な理由はわからない。
究極のケースは画像ギャラリー内【写真8】の京王帝都電鉄の2代目ワンロマ車。一般路線と中央高速バスを兼用しており、いずれも(当時)前乗りだったこと、高速使用時に窓面積や客席スペースを犠牲にしたくなかったことから、窓内や腰板でなく前扉の上部幕板に方向幕という異例の選択を行った。
大型方向幕の時代になると、側方向幕はほぼ窓内に移るが、最終段階ともいえるのが画像ギャラリー内【写真9】の幕板大型方向幕である。なお、欧米では幕板が広いつくりが続いているので、今も幕板方向幕が多い。
【画像ギャラリー】サボ板から方向幕へ!! 幕板方向幕全盛期・1950~1970年代のバスの雄姿(9枚)画像ギャラリー