2011年時点で販売比率1.5%と、絶滅危惧種的な状況ながら、今なお愛されやまないMT車。MT車歴60年超の自動車評論家 石川真禧照氏に、「心踊ったMT車たち」を振り返ってもらった。(本稿は「ベストカー」2013年4月10日号に掲載した記事の再録版となります)
TEXT:石川真禧照
■数えてみたら20台以上! MT車歴から選んだ、最高に楽しかったクルマたち
これまで何台ぐらいのMT車を購入してきたのか、改めてリストアップしてみた。そうしたら自分でもビックリするぐらいMT車に乗っていた。
何しろ国産車で初めて公道を走ったのが、友人の家にあった310ブルーバード(1960年代初め)。
もっともMT車といっても、当時はMTが普通で、ATはクラウンなどごく一部の高級車にしか装備されていなかった。しかも2速か3速のATだった。そのブルーバードもコラムシフトのMT車だった。
本格的なスポーツタイプのMT車はやはりブルーバードの410SSS(スリーエス)。これで学校に通っていた。
1.6L、OHV、SUツインキャブで、90馬力。ポルシェタイプのシンクロミッションが自慢だった。
そのシフトフィールは「バターナイフでバターを切るよう」になめらか、といわれていた。一生懸命にヒール&トウの練習をしたのもこのブルーバードだった。
ブルーバードは次の510SSSにも乗った。こちらはSOHCになり、100馬力。MTでの走りもかなり向上していた(と思う)。
その後、国産車のMTは中古でベレットGT、初代セリカGTなども所有していたが、本格的に復活したのはランエボIIから。久しぶりに乗ったMTはやはり楽しく、すっかりMTに取りつかれてしまった。
ランエボはIIの後、III、Vと乗り継いだ。
特に、Vはボディもワイドになり、それまでのウイークポイントだったブレーキとタイヤがよくなったので、かなり走りを楽しめるようになった。
その後のランエボは性能的にも手に負えなくなったような気がし、クルマも電子制御が多くなったので、なんだかクルマに乗せられているようで、興味を失ってしまった。
以来、うちのガレージは国産のMT車は縁がなくなってしまった。国産車で、一番楽しかったといえば、ランエボⅤだろう。
一方、輸入車は初めて自分で購入したアウトビアンキA112アバルト(1983年)に始まり、フィアット・リトモ・アバルト130TC、アウトビアンキY10、フィアットパンダなどイタリアのMT車を乗り継いだ。
というか、当時の欧州車は、本国でもAT車の開発には熱心でなく、効率もシフトフィールもよくなかったので、どうしてもMT車になってしまったのだ。
マセラッティのスパイダーも、だからMTを選んだ。マセラッティはビトルボとギブリにも乗っていたが、この2台はAT車だったが、やはりスパイダーのMT車がよかった。
その後、AT車を何台か乗り継ぎ、趣味で1970年代のアルピーヌルノーA310にも乗った。
これは1.6Lのリアエンジンで、ヘッドライトが6灯式という珍しいクルマだった。フランス車では2000年頃にプジョーの406クーペのMT車があった。これは友人が輸入したのを、強引に譲ってもらったものだった。
ピニンファリーナのボディは美しく、眠いプジョーエンジンもMTで少しは元気に走った。
唯一のドイツ車はBMWのZ3。これもMT車だった。ATもあったが、スポーツカーならMTでしょ、ということで選んだ。
406もZ3も同じだったのは、とても乗りやすいということ。街中で5速にはいってしまっても走ることができるし、実用的だった。それがいまひとつボクには物足りなく、2年ほどで手放してしまった。
そんななかで、1台を挙げろといわれれば、アウトビアンキA112アバルトかリトモアバルトの130TCだ。
A112は1L、70馬力、最高速も140km/hというクルマだったが、エンジンをぶん回す楽しさを教えてくれた。峠の下りや平坦なコーナーではポルシェをあおることもできた。
130TCは2L、130馬力のFFスポーツ。こちらは直進性の強さでいっときも気を抜けなかった。走りの楽しさと怖さを教えてくれた。
どちらもよかったが、おそらくもう二度と出てこないだろうFFスポーツのじゃじゃ馬、130TCを挙げておく。
(内容はすべてベストカー本誌掲載時のものです)
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