ショーファーカーといえばその会社のフラッグシップともみなされるほどのクルマ。長い間モデルチェンジをしなかったり、センチュリーやプレジデントの対抗馬として秋篠宮家で使用されたり、最後には日産のOEMモデルとして販売されたり……。そんな数奇な運命を辿った三菱の高級車を振り返る。
文:小鮒 康一/写真:三菱、日産、ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】まさに流転・波瀾万丈!? 三菱 デボネア・プラウディア・ディグニティの数奇な運命(20枚)画像ギャラリー走るシーラカンス? 不遇の名車デボネア
現在はSUVモデルを中心とするラインナップでコアなファンを獲得している三菱だが、センチュリーやプレジデントが登場するよりも早い1964年に、ショーファードリブンとしても供されるフラッグシップセダンのデボネアをリリースした歴史があった。
そんな初代デボネアはその後、22年もの間フルモデルチェンジをすることなく販売が続けられたことで、走るシーラカンスなどという不名誉な愛称をつけられてしまうこともあったが、その後は1999年まで3世代に渡ってそのポジションを守り続けてきた。
デボネアの後継車種として登場したプラウディア/ディグニティ
デボネアは1986年に登場した2代目モデルからスペースユーティリティに優れる前輪駆動レイアウトを採用していたが、その後継車種として1999年に登場したプラウディアも引き続き前輪駆動レイアウトを踏襲。
そしてそのプラウディアのリムジン版として同じタイミングで登場したディグニティは、当時同クラスで最大の室内長を誇るなど、ショーファードリブンとして求められる要素はしっかり確保していた。
しかし、発表直後に三菱のリコール隠し問題が明るみになったこともあって、プラウディア/ディグニティは登場からわずか1年ちょっとで終売となり、三菱の高級セダンはしばらく空席となってしまう。
そこから10年以上の時間が経過した2012年7月に、再びフラッグシップセダンとしてプラウディア/ディグニティが復活することとなるのだが、この2代目モデルは三菱製の車両ではなく、日産からフーガ/シーマをOEMモデルとして供給を受けて販売されるものとなっていた。
異例のフラッグシップではあるが……
三菱の最上級モデルとなったディグニティはシーマの最上級グレードと同様の装備を持ち、840万円という車両本体価格は当時の三菱で最高額となるもの。
ある意味メーカーの顔とも言えるフラッグシップモデルをOEMモデルとするのはあまり例のないケースと言えるが、当時はすでにセダンの需要は縮小しており、ほぼ三菱グループの役員専用車となりつつあるモデルを単独で開発するのは割に合わないというのが正直なところ。
実際、ディグニティの初年度の年間販売目標(月間ではない)は50台となっており、2016年の終売までの合計販売台数も200台ちょっとという結果となっているため、OEMで賄ったのは妥当な判断と言えるだろう。
ただ個人的にはフーガ/シーマのグリルよりも、プラウディア/ディグニティの縦型グリルの方が高級感があり、車両にマッチしていた印象があり、OEMモデルではあるものの、しっかり“らしさ”を演出できていたと思うのだ。























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