メルセデス・ベンツといえば世界で多くのファンを持つ自動車メーカーだ。その完璧なまでの生産技術や、独自の安全技術など、これまでに多くの画期的な製品を世に出してきた。しかしながらかつての「硬派」なイメージはだんだんと薄れてきて、Aクラスを誕生させるなど現代では守備範囲の広い自動車メーカーになっている。そこで問いたいのが、現在のメルセデスに「最善か、無か」のモットーは受け継がれているかということ。伝統的な価値観を捨てて新たなステージに立っているメルセデスに、かつてのクラフトマンシップは残っているのだろうか。鈴木直也氏が解説します。
文:鈴木直也/写真:メルセデス
■航空機用エンジンからうまれた絶対的信頼性
ベンツは自動車を「発明」した元祖を自負する老舗。戦前から一貫して高級車を造り続けてきただけに、品質に対するこだわりは並はずれたものがある。で、いつしか定着したスローガンが、有名な「最善か、無か」というもの(ドイツ語では Das Beste oder nichts)。
これは、「ベンツは常にベストを目指す」という風に誤解されがちだが、本来その意味するところは「どんなに優れた技術でも、耐久・信頼性を確認できなければ使わない」という解釈が正しい。
昔むかし第2次大戦より前(1930年代)くらいだと、高級車におけるもっとも重要な価値観は、どんな状況でも正しく機能する信頼性の高さにあった。
もちろん、ベンツは戦前からモータースポーツ界でも名門だから、パフォーマンスの追求に無関心なはずはないが、当時のレースはいまよりもずっと耐久的要素が強く、重要だったのは「速く走っても壊れない」信頼性の高さ。
当時のライバルであるアルファ・ロメオやブガッティに比べ、ベンツはここが圧倒的に強かったのだ。
もうひとつ、ベンツのこの信頼性信仰を育んだ要素として、航空機用エンジンの生産がある。航空機用エンジンには高性能が求められるが、同時に「止まったら墜落」なだけに高い信頼性が必須。まさに「最善か、無か」の世界そのものといえる。
ベンツと高級車の双璧をなすロールス・ロイスは、この分野でも絶好のライバル。有名なバトル・オブ・ブリテンが、ベンツDB601とロールスロイス“マーリン”という、ピストンエンジン同士で戦われたのは、戦史ファンにはおなじみのエピソードだ。
さて、そんな「最善か、無か」というスローガンだが、不思議なことに90年代以降、ベンツ自身があまり積極的に使わなくなる。
いま思えば、これは90年代にベンツ内部が大きく変化したサインだったのだが、その変化はクルマ造りだけにとどまらず、長期的な経営計画もこの時点で大きく書き換えられている。
■レクサスの登場がベンツの価値観を変革させた
その変化を後押ししたのが「従来の高級車ビジネスで将来生き残れるのか?」という危機感だったのはいうまでもない。そしてそれは1989年の初代レクサスLSの登場で現実の脅威となる。
高級車ビジネスでは日本車など敵ではないはずだったのに、予想に反してLSは北米で大ヒット。ベンツより速く、ベンツより安く、ベンツより燃費がいい…。北米の消費者は高級車マーケットでもブランドより実質重視。殿様商売の終わりが近いことを見せつけられたのだ。
しかも、トヨタがこのマーケットに参入できるなら、他のライバルが次つぎ現れるのも時間の問題。もはや「最善か、無か」といった伝統的価値観に縛られていては企業の存続すら危うい…。
この危機感に突き動かされて、ベンツのクルマ造りや商品戦略が劇的に動き出すのである。
その変化は、車種ラインナップの変化を見れば明らかだろう。1980年代までのベンツの車種構成は、基本的にC,E,Sの3つのラインが中心。他に、CEなどのクーペ、SLなどのスポーツカー、Gクラスなどの4WDはあるが、どれもそんなにたくさんは造られていなかった。
それが、1990年代後半から2000年代にかけて、バリエーションの爆発が起こる。Aクラスで初のFFコンパクト車を投入したのをはじめ、MクラスでSUV、Rクラスで多人数乗車ワゴン、つい最近はXクラスでピックアップトラックにまで参入。
爆発的といっていいほど、車種バリエーションの拡大路線に転じるのだ。
しかし、この第一次“車種ビッグバン”の初期モデルは、ベンツにとってはある意味黒歴史。振り返ってみると、成功作といえるようなクルマがほとんど皆無という状況だった。
初代Aクラスはデビュー前にエルクテストで横転するミソをつけるし、北米工場で生産されたML320Mは品質の低さで世界的に酷評され“アラバマ・メルセデス”の異名を奉られる始末。主力のEクラスは楕円ヘッドライトのW210の時代で、これまた評価は高いとはいえなかった。
とくにEクラスは前モデルのW124Wが「最後のメルセデスらしいメルセデス」といわれた名車だっただけに、ファンの落胆が大きかったのを思い出す。
また、主力エンジンについても、この時代は直6からV6への切り替え時期だったが、ヘッド構成がDOHC4バルブからSOHC3バルブへ変わるなど、スペック的にはむしろ後退。
当時ベンツは「燃費とエミッションを考えると3バルブが最適」と説明していたが、そこにコストダウンが大きな影響を及ぼしていたのは間違いない。
けっきょく、この拡大路線は1998年のクライスラーとの合併で頂点に達するのだが、生き残りを賭けて規模の拡大を追求する過程で、しばし「最善か、無か」というスローガンが棚上げされていた時代、そういえるんじゃないかと思う。
しかし、ここ数年、2010年代になってから再びベンツがこの「最善か、無か」のスローガンを多用するようになってきたのは注目に値する。2007年のクライスラー売却で“不幸な結婚”にケリをつけて以来、ベンツのクルマ造りは高級・高品質路線に明確に回帰しつつある。
拡大路線を主導した前社長ユルゲン・シュレンプが更迭され、後継社長となったディーター・ツェッチェは工学博士号を持つエンジニアだ。現在は自動車にとって100年に一度の第転換期といわれているが、だからこそベンツは先進技術によって生き残りをはからなければならない。
ツッチェの経営方針には、そういう強いイニシアチブがうかがえる。思えば、EVやPHVやFCVなど、クルマの新動力源と目されている技術は、まだまだ熟成されたとはいえず、耐久・信頼性向上のための開発競争が白熱している段階だ。
そういう意味では、次の100年に向けて、今こそ「最善か、無か」という取り組みが重要な時代。ベンツの今後のクルマ造りが大いに注目されるところですね。
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