1980年代から始まった高速バスのブームは2000年ころに一度、ピークを迎えた。そう、このころの日本は実は“高速バス天国”だった。新幹線も航空機も普通の交通インフラとして機能している中、長距離なら夜行、近・中距離なら昼行という選択で、旅巧者たちは高速バスを便利に上手に利用していた。
そして盆や正月の帰省時期には、多くの事業者で観光バス車両を使用した臨時便を増発していた。関東から東北方面は特に台数を増やして対応していた。そんな時代に多くの人々から頼りにされていたもののひとつがシリウス号だ。
●南部バス(国際興業バス・十和田観光電鉄・ジェイアールバス関東)
東京駅・池袋駅〜馬場・八日町・十一日町・小中野バスセンター
乗車・撮影日2005年2月
(記事の内容は、2021年1月現在のものです)
執筆・写真/石川正臣
※2021年1月発売《バスマガジンvol.105》『思い出の長距離バス』より
■南部バスの高速路線開業まで
東北自動車道が東北へと太平洋側を北へ北へと延伸する中、高速バスが盛岡から北は日本海側を通り、東北自動車道は八戸を通らないと知った時、八戸市の南部バスは高速バスに恵まれない受難な事業者であると感じた。
しかし八戸自動車道の構想がある中、密かに期待がうかがえたのは、同自動車道が開通し1989年東京線シリウス号が開業するというニュースだった。
1990年のお盆に乗車しようと、1カ月前から予約するべく電話を掛けても話し中が続き、その日の夕方やっとつながると「満席です」というガッカリな回答。観光バスを使った臨時車両なら空席があるということだったので、ここは迷わず予約した。
■お盆は帰省客でさらに利用者が増加
東京駅のパス乗り場は、夏休みの旅行を楽しもうとする人たちのほかに、帰省する人でごった返していた。人気のシリウス号は運行会社4社の各車両4台のほかに、4台の臨時車両が待機していた。
3列夜行便に対して臨時便は窮屈ではあるが、2席を1人で使えるような配慮もトイレや飲み物サービスもないものの、冷たい青森産リンゴジュースを配るサービスが嬉しかった。
「お晩でございます……」のあいさつ、すでに雰囲気は青森だ。22時46分、テレビが消えて消灯し、埼玉県へ入る。北へ向かう自動車は深夜でも交通量が少なくなることはなく、断続的な渋滞が続く。羽生S.A.、続く那須高原S.A.では3時を回っていた。
車窓が明るくなり、東北に入ってもノロノロ走行は変わらない。国見での休憩は7時を回っていた。16時を過ぎてようやく高速路の走行になってきた。岩手山S.A.では係員が応援に参加。食べ物の配給が始まった。続くトイレ休憩も混雑するが、24時間ぶりに口に食べ物が入ったと喜ぶ人も。
八戸自動車道を走行し、17時30分に八戸インターを下りる。待っていた八戸の街が目に入って来た。「開業以来、初めての大きな遅れとなり、大変ご迷惑をおかけいたしました。またのご利用を、今度は本当のシリウス号に乗って頂ける日にお会いしましょう」との挨拶で旅は結ばれた。