それぞれの国には、その国を代表するような上質なサルーンが存在する。イタリアでいうと、マセラティ・クアトロポルテがそれにあたる。つい先頃、誕生60周年を迎えた、もはや伝統の一台にもなっている上質なサルーン。時代とともにサイズも大きく変化したりした歴史を持つ。
文、写真/いのうえ・こーいち
■4ドアという名の上級サルーン
そもそもマセラティというのは、一時はイタリア代表のようにしてレース界でもその名を挙げていたりしたが、基本的には少量生産、上質の比較的大型のスポーツ・モデルを得意としていた。1960年代までの話である。そんな時代に初代のクアトロポルテは誕生した。
そもそもはレースを志向するマセラティ兄弟によって興されたマセラティ社だったが、その地位を大きく押し上げた経営者、オルシの存在があった。彼の提案でマセラティにとって新ジャンルへの挑戦となったのであった。
マセラティ5000GTという高級高性能GTが好評だったこともあり、そのコンポーネンツを使って上質な4ドアが計画されたのである。デビュウは1963年、つまり60年ほど前のことだ。
それは、まだまだ一般的でなかったエアコンディショナー、パワー・ステアリング、パワー・ウィンドウといった装備を盛り込み、フルア・デザインの明快な4ドア・ボディが架装されていた。そして、その名も「クアトロポルテ」つまりは4枚のドアというなんともシンプルなネーミングで注目を集めたのであった。
■マセラティ社の危機に遭遇
しかしながらクアトロポルテを含むマセラティ社は、商業的に苦境に立つ。量産化されたクルマの普及に伴い、高級なクルマを少量生産するブランドは生きにくくなっていたのだ。
アルファ・ロメオなどがいち早く小型車に舵を切った、世界的な流れに乗り遅れたのだ。1968年にシトロエン傘下に入ったことも決してよい方向には向かわなかった。
初代クアトロポルテは1970年までに500台ほどを送り出して、生産中止になっていた。なんとか復活させたいと、1974年に「クアトロポルテII」の名でシトロエンSMのシャシー、エンジンなどをベースにプロトタイプが発表されるが、オイルショックなどの不幸もあって、それは量産には至ることなく終わってしまう。
本格的に「復活」を果たすのにはさらに5年近くの年月を要する。シトロエンとの関係を解消、デ・トマソによってふたたびマセラティが息を吹き返してからのち、1979年のことであった。
ジウジアーロの新ボディは直線を主体とした圧倒的な迫力のあるもので、「クアトロポルテIII」とされたそれは、大きな注目を集めた。いうなれば、クアトロポルテ史上もっとも印象に残るモデル、といってもいいかもしれない。
■「クアトロポルテIII」の迫力
さてその「クアトロポルテIII」、マイナーチェンジを受けた1986年からのモデルは、いっそう個性的になる。特にロイヤルと名付けられた上級版はマセラティらしさが満載、であった。
エンジンはマセラティの伝統的というべきV8気筒DOHCユニット。排気量は4.2Lのほか4.9Lも選べた。280PS、3段のATギアボックス付で最高速度230km/hを誇った。ホイールベースは2800mm、全長4.9mを超えるボディはそのサイズだけでも強いインパクトの持ち主だ。
このサイズながら、ボディ全高はわずか1380mmと、この種のサルーンとしては異例に低い。それも走りを無視できなかったから、といわれ4ドアのスーパーカーなどとも評された。
この外観に加えて、その内装の豪華なこと。まさに走る応接間、の印象だ。楕円形の「ラ・サール」製時計もマセラティを象徴した。4ドアだけれど、決して運転手付ではなく運転好きの社長が自ら運転してしまう上級サルーン、そんな性格を明確にした。
それは、その後のガンディーニ・ボディの「クアトロポルテIV」、さらにはピニンファリーナ時代の奥山デザインによる「クアトロポルテV」、現代のクアトロポルテにも引継がれているようだ。
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