労働環境は良くなったのか?
「持ち込み」という制度が平成初期にはまだあった。見た目は営業(緑)ナンバーが着いていてトラックの名義は会社になっているが、実際は1台のトラック(2000万円以上)を個人で買ったのと同じで、会社に月賦で支払う。収入は売上(運賃)の一定パーセンテージで、燃料代・高速代・修理代なども自分で支払う。
クルマは自分専用の担当車なので、改造もある程度OK。走れば走るほど売り上げが上がるから、24時間働く人もいた。白ナンバーではないが、映画「トラック野郎」の個人営業にもやや近い形態だ。
いわば、個人事業主のようなものだが、厳密にいえば労働基準法にも引っかかるのだろう。しかし、当時は労働基準法も今のように厳しくはなかった。
「1人1車」か「乗り回し」かという話になるが、双方にメリット・デメリットはある。会社としても車は休ませたくないから、今のような休みをしっかり取る勤務体制では「乗り回し」を採用する会社も多い。
実際、通常の社員だった私も、東京〜高松を週3往復走っていたこともある。積込みに7時間、運転が10時間、睡眠は5時間程度でまた帰ってくるのだから、危ないことこの上ない。
そのころ、平成2年の小泉規制緩和の影響で、運送会社が徐々に増え始めていた。そして、過当競争から運賃のダンピングが始まり、運賃相場は平成20年代まで低迷した。
現在は人手不足で運賃がやや上がったとはいえ、まだ低い水準にとどまっているのは、そのころの名残であろう。
連続で長時間働かせるブラック企業も多かった。当時、スピードリミッターがまだなく、大型トラックでも120km/h以上出たことから、重大事故も多かった。
平成15年に90km/hのリミッターが導入される。速度が遅くなることで労働時間は増えたが、私は現在の方が良いと思っている。
25トンもの物体が120km/hで事故を起こせば破壊力が大き過ぎる。それにドライバー自身が一番危険である。
現在は、デジタコの導入や労働基準法が強化され、430休憩や拘束13時間、8時間のインターバルなどが徹底されるようになった。
しかし、実際はパーキングエリアがどこも満車でたらいまわしにされたり、加減速レーンでの駐車など、問題はいつになっても尽きない。また、近代的な物流倉庫ができ、IT社会になったとはいえ、積み込み・積み降ろしの待ち時間の問題もほとんど解決されていない。
トラックと環境問題
平成初期には4トン車ごと鉄道に積む「ピギーバック」など、モーダルシフトの方策がしきりに考えられていた。モーダルシフトとは、輸送を別のモード(鉄道、船舶など)に転換すること。
比較的新しく開通した新名神や新東名は、片側2車線(現在3車線化が進められている)でショボく造られているが、当初は中央車線に貨物専用鉄道を通す構想まであった。
かつてのトラックは、マフラーから黒煙を吐き、「環境に悪いもの」というイメージが大きかった。排気ガスからは粒子状物質や窒素酸化物が出ており、工場からの排出ガスとも相まって、環八雲(かんぱちぐも)や光化学スモッグを引き起こした。
平成11年、当時の石原都知事がペットボトルに入れた黒鉛を振りかざして見せ、国に先駆けディーゼル規制に取り組んだ。
その結果、新長期規制、ポスト新長期規制などの排ガス規制を経て、トラックの排出ガス浄化技術は進んだ。この流れは欧米でも同様で、それぞれに排ガス規制の段階的強化がある。
平成23年の東日本大震災による原発停止の後は、二酸化炭素排出や地球温暖化問題に対し社会の関心が低くなったように思う。
しかし、排ガスがキレイになっても、トラックが二酸化炭素を出していることは事実。たとえトラックがEV化されたとしても、発電段階において二酸化炭素が発生していることに変わりはない。
モーダルシフトは路線便の鉄道コンテナ利用や大手メーカーのトレーラ・フェリー利用で幾分かは進んだが、いまだ主流はトラックである。
平成という時代は、昭和に出現したトラック輸送を、高速道路の延伸や排ガス浄化で踏襲したかたちをとった。
政治主導で何か新しい物流システムを造ったわけではない。令和時代には自動運転技術がでてくるかもしれないが、ライフスタイルの変更や二酸化炭素の削減も、持続可能な社会のために考えなければならない。
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