当時の編集部では「来月のヤタベ、押さえてあるよな」とか「次号の巻頭、ヤタベやるからクルマ押さえとけよ」という会話が日常だった
トヨタ2000GTのスピード・トライアルは1966年10月1~4日のヤタベで実施。大雨だった
1970年代から1980年代前半は、200km/hは輸入車の世界。当時のベストカーではさまざまな輸入車を走らせ、200km/hの世界をレポートした
1980年代、日本車は200km/hのカベに挑んだ
光電管でゼロヨン計測。A60系セリカXXなので1980年代前半だろう。光電管の発光部は白熱電球で、12Vバッテリーで発光させていた
スープラターボAで255.20km/hをマーク!!
1990年代までのヤタベテストの記録
1980年代の『ベストカーガイド』(当時の書名)では二輪vs四輪対決が人気企画だった
真っ暗なヤタベでテスト準備を進めていく。「午前3時に編集部集合」というイカレたスケジュールだったが、ヤタベではいつも気分が昂ぶっていた
まだ真っ暗な午前4時前には高速周回路の「小屋」に到着してテスト取材の準備を開始する。この写真は1998年11月16日、アルテッツァの初テストの日。RS200とIS200を中心にライバル車をテストした
荷室に満載のヤタベ取材セット。光電管はスタート地点と400m地点、さらに1000m地点をコードで接続していたのだ
編集部の写真棚から発掘されたこの写真、1980年代前半と思われる、ヤタベの食堂でのワンシーン。竹平さんの隣にいるのは若かりし頃の勝股編集長だ
前写真と同じく、ヤタベの食堂での一枚。タケちゃんマンもガンさんも若い!!
午前8時の置き撮影の頃には睡魔の絶頂。陽当たりのよい芝生が心地よく、思わず極楽に引き込まれるが、次の瞬間先輩に叩き起こされるという地獄を味わう
芝生に大の字。前日からの編集作業を終え、不眠不休のままヤタベテスト。そりゃ寝ますよ!
1998年6月6日、ヤタベ高速周回路のメインストレート上にて。ストレートの先、北バンクの向こうに筑波山の雄姿を臨む
2023年10月3日、現在の同地点。つくばエクスプレスの研究学園駅ホームからは筑波山の変わらぬ姿が。右端に見えるビルのあたりがストレートだった
高速周回路に付帯していたスキッドパッド
スキッドパッドのあたりは現在ショッピングモールとなっており、当時の面影はまったくない
ヤタベの地には現在も日本自動車研究所の施設が残っていて、南側バンクの一部がモニュメントとして残されている。おそらく、当時朝食を食べた食堂や、そのあと置き撮りに使った芝生があったあたりだと思うのだが……
1990年頃のヤタベを現在の航空写真に重ねてみた。オーバルコースを串刺しにするようにつくばエクスプレスが走り、駅もできた