阪急電鉄と相互乗り入れを行う堺筋線
堺筋線は1969年に開業した。直後より阪急千里線・京都本線との相互乗り入れ運転も開始された。西成区の天下茶屋と日本一長い商店街を有する天神橋筋六丁目(北区)を結ぶ路線だ。地下鉄同士の乗換駅も充実しており、御堂筋線、谷町線、千日前線、中央線、長堀鶴見緑地線と多くの路線に乗り換えが可能だ。天神橋筋六丁目以降は阪急の路線となるため、地上を走行する路線となる。
また、相互乗り入れのため、阪急電車の車両もメトロ区間に乗り入れているので、ホームで待っていると阪急の車両が来て戸惑う他県の方も多い。また、御堂筋線などで採用される第三軌道方式と異なり一般的な架空電車線方式を採用するためパンダグラフが車両に備わっており、地下鉄線内も架線が備わっている。
リニアモーター駆動のミニ地下鉄 長堀鶴見緑地線
1990年に国際花と緑の博覧会(花博)が大阪市東部の鶴見緑地で開催された。会場へのアクセスのため、京橋-鶴見緑地間で開業したのが長堀鶴見緑地線だ。
特徴的なのが日本初の『鉄輪式リニアモーター』という動力方式だ。通常車体側に搭載する駆動用モーターを搭載していない。地上側軌間中央に直線的に敷設した磁石と、車両側車軸間に搭載した電導コイルの誘導力(これがリニア=直線的モーター)で走行するシステム。いわゆるミニ地下鉄(中流軌道輸送システム)で、このリニアモーターを動力源として、車輪によってレール上を走行する。この方式はその後に開業した都営地下鉄大江戸線でも採用されている。
現在建設中のリニア中央新幹線に代表される、直線距離を超高速で走行する、一般的にイメージされる『浮上式リニアモーターカー』とは大きく異なる点だ。また、建設費用を抑えるためにトンネル断面を小さくしており、そのため車体断面も小さく設計されており、車内は狭く、背の高い人が乗車すると少々圧迫感がある印象なのは都営大江戸線と同様だ。
大阪人の移動手段といえば御堂筋線‼ 7月には長年の馴染みだった車両が引退
大阪メトロで一番代表的な路線といえば御堂筋線である。その歴史は古く、1933年(昭和8年)5月に梅田(仮駅)‐心斎橋間の路線が開通した。当時は2両編成で運行され、大阪の栄華の時代である大大阪時代を支えた。
昭和初期の建設当時は大変な苦労があったという。特に現在の大阪駅周辺、梅田地域は地盤が弱く地下鉄建設には技術的な課題が多かった。梅田の地名は諸説あるものの、江戸時代に湿地を埋め立てて田畑を造ったことから「埋田」(うめだ)という地名が元だったともいわれる。
その後なんばや心斎橋など徐々に路線を拡張し、相互乗り入れ区間を含め、なかもずから千里中央までの24.5キロメートルを結んでいる。さらに2023年度中には箕面市までの延伸を予定している。(北大阪急行電鉄との乗り入れ区間)
御堂筋線では今年の7月4日には50年という長きにわたり活躍した10系電車(正式には10A系)が引退し、御堂筋線の歴史がまた一つ幕を下ろした。
大阪人にとっては非常になじみ深い車両だった同車は、1973年に試作車がデビューし、その後量産された。将来の冷房需要を見越して冷房装置を取り付けられるように屋根にはスペースを設けており、地下トンネル内でも放熱が少なく、冷房装置自体も薄型で稼働できるタイプのものが取り付けられ、日本の地下鉄かつ第三軌条式車両(線路横にある給電用のレールから電力を取る)としても初となる冷房搭載車両が誕生した。
1980年代後半には、御堂筋線と相互乗り入れをしている北大阪急行が最新型の8000形電車、通称ポールスターを導入したため、大阪人の間では、10系車両が来たら「ハズレ」と言われていた。10系の車内は薄暗く、パッとしない印象を抱いていた人が多かったのだ。
半面、北大阪急行は阪急電鉄の子会社でもあるため、阪急の車両と同様にポールスターの車内は明るく、木目調の化粧板やオリーブ色の座席など高級感があり、連結部分の扉も自動扉を採用しているため、こちらは「アタリ」とされていた。現在でこそ、どの車両も居住性が向上しているが、この当時はこのような話がよく聞かれたのである。そんなポールスターも2014年より後継の9000形電車、通称ポールスターⅡが誕生し、両車とも活躍中である。
西中島南方駅から江坂、その先の北大阪急行路線でも地上区間があり、新御堂筋(道路)の間を地下鉄が並走しており、このような風景も大阪人にとってはなじみ深いものである。また、新大阪駅から大阪の中心部に向かう他県民の方は地下鉄が地上を走っているため、JRや他社線に乗ってしまったのではないかと戸惑う光景も時折見られる。
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