えええ、エアバッグが原因だったの!? ダッジ バイパーが絶版に追い込まれた衝撃理由

えええ、エアバッグが原因だったの!? ダッジ バイパーが絶版に追い込まれた衝撃理由

 どデカいエンジンにマッシブなデザインという、アメリカンスポーツを体現したクルマ、ダッチ バイパー。決してセールス的に成功したとは言えないクルマではあるが、間違いなく自動車史に名前を残した名車である。その歴史、何より終焉についてここでは解説してみたい。

文:古賀貴司(自動車王国) 写真:ステランティス

【画像ギャラリー】8.3Lって自動車税いくらよ!! でもカッコよすぎ!! これぞアメ車!! なバイパーを一挙に(4枚)画像ギャラリー

不遇続きだったバイパーの歴史

1991年から2002年まで販売された初代バイパー。8L V10という意味のわからない大排気量エンジンを搭載し、話題となった。
1991年から2002年まで販売された初代バイパー。8L V10という意味のわからない大排気量エンジンを搭載し、話題となった。


 2017年、25年にわたってアメリカのスーパーカー界を席巻し続けた一台の車が、静かにその歴史に幕を下ろした。

 ダッジ バイパーはV10エンジンの咆哮とともに生まれ、最後は法規制という現実の壁に阻まれて消えていった、真のアメリカン・マッスルカーである。

 バイパーの最後の5年間は、年間販売台数が800台を下回る苦境が続いた。2017年の最終年には、わずか585台しか売れなかったそうだ。

 645馬力のV10エンジンを搭載した手作りのスーパーカーにも関わらず、市場はもはやこの荒々しい野獣を求めていなかったのである。

 バイパーは進化し続けてはいたがデビューから時間が経過していたことに加え、シボレー・コルベットZ06という強烈なライバルが出現していた。

 650馬力という僅かに上回るパワーを、より安価で提供するZ06は、バイパーの牙城を容赦なく崩していったわけだ。

 さらに追い打ちをかけたのが、同じクライスラーグループ内の707馬力ダッジ・チャレンジャー・ヘルキャットの登場である。

 より実用的で安価、それでいて同等に過激なヘルキャットの前に、バイパーの存在意義は大きく揺らいだ。

致命的な要求となったアメリカの安全基準

8.3Lに拡大されたV10エンジンを積む2代目。グレード名であるSRT/10と呼ばれることが多い。
8.3Lに拡大されたV10エンジンを積む2代目。グレード名であるSRT/10と呼ばれることが多い。

 そして、バイパーに真の終止符を打ったのは、アメリカの連邦自動車安全基準226だった。これはサイドカーテンエアバッグの装着を義務付けるものである。

 低く構えたクーペボディと既に限界まで切り詰められた室内空間を持つバイパーにとって、これは致命的な要求だった。

 狭いキャビン内に必要なエアバッグを安全に配置するスペースは存在せず、全面的な設計変更か高度な技術的解決策が必要となった。

 しかし、その頃のバイパーの販売台数では、そのような投資を正当化することは不可能だった。バイパーの歴史を振り返ってみると開発は、1990年に75人の精鋭チームによって始まっている。

 このチームはロッキード・マーティンのU-2偵察機やSR-71ブラックバード、ステルス爆撃機を生み出した伝説的な開発部門「スカンクワークス」をモデルとしていた。

 チームリーダーのロイ・シェーベルクは、全員にスカンクワークスの物語を記した本を配布し、少数精鋭で効果的かつ創造的なチームの構築を目指した。

開発にはランボルギーニの技術が投入されていた

排気量は先代と同じものの、出力が649psにまで高められた3代目バイパー。2012年から2017年まで生産された。
排気量は先代と同じものの、出力が649psにまで高められた3代目バイパー。2012年から2017年まで生産された。

 プロジェクトの承認は、驚くほど迅速だった。1990年、クライスラーCEOのリー・アイアコッカは、デトロイトのオークランド・アベニューでプロトタイプに試乗した後、わずか30分で決断を下した。「何を待っているんだ?」という彼の一言が、バイパー量産化への道を開いたのである。

 取締役会の承認を必要としない、5000万ドル以下(正確には4999万ドル)という開発予算が割り当てられたのは、スピーディにバイパーを市場に投入するための秘策だった。

 エンジン単体の開発でさえ3000万から4000万ドルを要していたと言われる時代に、車両全てを5,000万ドル以下で開発するという制約は、チームに極度な創意工夫を強いることとなった。

 バイパーの心臓部であるV10エンジンの開発には、意外な協力者がいた。当時、クライスラーが買収したランボルギーニである。

 大型アルミ鋳造に必要な設備を持つランボルギーニの技術と、当時同社のF1チーフエンジニアだったマウロ・フォルギエリの知見が投入された。

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