2026年4月から三菱自動車の新社長に就任した岸浦恵介氏。激動の時代に舵取りを任された岸浦氏とはどんな人物なのか。パジェロ「シリーズ」復活の決断は誰が? ダカールラリーやWRC復帰の可能性は? ロボット事業や中国勢への対抗策は? そして三菱の行方はどうなる?? 自動車評論家・国沢光宏氏によるインタビューをお届けします。
文:国沢光宏、写真:森山良雄、三菱自動車
【画像ギャラリー】【三菱自動車・岸浦恵介社長インタビュー】パジェロ「シリーズ」復活の契機とWRC復帰の条件とは? 三菱の行方は??(10枚)画像ギャラリー「突然社長になりました」
国沢光宏(以下、国沢):よろしくお願いします。お聞きしたかったことが多いので時候の挨拶は抜きで始めさせていただきます。
三菱自動車・岸浦恵介社長(以下、岸浦):こちらこそ、よろしくお願いいたします。なんでも聞いてください。
国沢:最初に伺いたいのは、加藤さんが(加藤隆雄氏/前社長、現会長)もう少し社長を続けるのかな、と思っていたことです。加藤さんになってから三菱自動車はいい流れになり、御社に元気が戻ってきたな、と感じるようになりました。
岸浦:そうなんです。私ももう一年は加藤が社長をやるだろうと思っていたんですが、(2026年の)正月明けに、普通のミーティングをしていて、最後に「4月から社長やれ」と言われたんです。
国沢:「社長になれ」って言われて、どんなふうに思うんですか(笑)。
岸浦:驚きましたが、わかりました、頑張ります、と。突然社長になりました(笑)。
国沢:社長になるような雰囲気や流れはあったんですか。
岸浦:うーん。振り返ると、人事から始まって欧州、米州本部長として北米・中南米を2年、その後コーポレート企画本部長という、社長見習いのようなポジションを1年経験しました。加藤の手足になって動く立場だったので、あとから思えば伏線を張ってくれていたのかもしれません。
国沢:岸浦さんの三菱自動車での経歴を伺いたいのですが。
岸浦:1993年入社です。三菱自動車バブル最後の世代ですね。当時はパジェロやデリカがよく売れていて、95年頃までは調子がよかった。

国沢:新人はみんな、最初に工場で3か月とか半年とか実習しますよね。
岸浦:そうです。私は現場実習でワイパーモーターの取り付け工程に配属されたんですが、本当にきつくて。新人は勉強のため、たいてい一番きついところに配属されるんです(笑)。特にGTOはボディが狭くて大変でした。パジェロやピックアップトラック、最終的にはパジェロミニも流れていました。
国沢:パジェロミニ、買いましたよ!
岸浦:ありがとうございます(笑)。その後は本社で人事関係を10年以上経験して、2004年のリコール問題の際にはCSR推進本部で3年半ほど、新聞社の社会部記者対応のような難しい仕事もしました。その後はタイに駐在。人事総務担当として、バンコクに住みながらレムチャバン工場と本社の両方を見ていました。
国沢:三菱自動車を開発畑ではないところから客観的に見てこられた、ということですね。
岸浦:開発系ではない、という意味では、そうですね。タイから帰ってきてからは当時のプジョー・シトロエン(PSA)とのパートナーシップ交渉など担当して、そこから北米・中南米のアフターセールス部長、その後MME(三菱自動車の欧州拠点)の会長としてヨーロッパ全体のビジネスを見ていました。24か国ほど回りました。
国沢:いろいろな地域から三菱自動車を見てきて、三菱車のストロングポイントはどこだと思いますか。
岸浦:ヨーロッパでも東南アジアでも、お客様やディーラーの皆さんと話していて感じるのは、信頼していただいているということです。「ミツビシは壊れない」というタフさへの信頼と、それに裏付けられたブランド力を強く感じます。
国沢:ブランド力は1980年代後半のモータースポーツによるところが大きいと思います。現地でも実感されましたか。
岸浦:おっしゃるとおりです。ヨーロッパはどこに行ってもダカール・ラリーとWRCの話になります。ランサーエボリューションが終了してラリーから撤退した後も、うちの駐在員は今でもラリアートのTシャツを着ていたりして、根強い人気を感じます。
国沢:WRCに行くと赤(三菱チームのブランドカラー)と青(スバルチームのブランドカラー)ばかりでした。
岸浦:トミ・マキネンさんが我々のチームで世界チャンピオンになる前のエピソードがあります。初来社の時、開発担当が忙しさのあまり、マキネンさんを小牧空港から(愛知県)岡崎までタクシーで来て貰おうとしたことがあったんです。話を聞いて、当時社内報の担当だった私がマキネンさんを空港に迎えに行きました。手書きで「ウェルカム、Mr.マキネン」と書いた紙を持って。

国沢:やはりマキネンといえば三菱、というイメージですよね。
岸浦:当時、テストコースで左ハンドルのテスト車が故障して急遽右ハンドル車を用意したんです。乗せて貰ったんですが、右ハンドルでもマキネンの運転は抜群にうまかった。
国沢:そりゃそうですよ、当時、世界で一番運転がうまい人です(笑)。加藤さんにインタビューした時、「モータースポーツをやらなきゃいけないと思っていたが、社内の反対意見も根強く、お金のかからないところから始めて反応を見た」とおっしゃっていました。今はもう反対派はいないんじゃないですか。
岸浦:いないですね。今年AXCR(アジアクロスカントリーラリー)に参戦し、連覇を達成しました。準備運動をしながら来年は新型パジェロでAXCRに出て、最終的にはダカールで戦えるようにしたいと思っています。
ロボット事業と中国勢への対抗策
国沢:話が変わりますが、先日御社の株価が急上昇した、ロボットの話。生産予定規模がかなり大きくて(月産1000台予定)驚きました。いつ頃から動いていたんですか。
岸浦:昨年ぐらいからの話で、そんなに長く検討していたわけではないんです。加藤は以前からヒューマノイドロボットのビジネスの可能性を考えていて、私が社長になる前から先方の開発現場にも足を運んでいました。
国沢:ハードは中国製ではなく、日本製なんですね。
岸浦:はい。ハイランダーズという東大発のベンチャーで、コンセプトは国産です。ロボットは今、ほとんどが中国製という状況です。ハイランダーズは日本製にこだわっている。生産についても日本のパートナーを探していました。我々の量産・コスト管理のノウハウとの相性がよかったんだと思います。
国沢:自動車ビジネスがこれから明るいばかりじゃない中で、次の産業を日本は探さなければいけない。ロボットへの期待はクルマ好き以外にも大きいです。海外の知人に聞いた話ですが、「最近のロボットの顔が怖い。殴りかかってきそう」という声があります。
岸浦:最近のロボット、強そうですね。私は学生時代、大学で日本拳法をやっていました。首も絞めてよくて、面や胴をつけて、関節技・蹴り・絞めと何でもありの競技です。
国沢:そういう目で見ると、格闘ロボットは、体力が無尽蔵で怖い感じ。西洋には「ロボットはいつか人間に牙を剥く」という根っこの発想がありますが、日本は最後まで人間に優しいドラえもん的な発想がある。そこは大事にしてほしいです。
岸浦:そうですね。うちにはデリ丸。というキャラクターもいますし、ロボットの顔も馴染みやすい優しい方向にしたほうがいいかもしれません。ロボットは本気でやります。来年(2027年)から量産を開始します。
国沢:御社が自動車組み立て用ラインのロボットを作ったら、どこの自動車メーカーも欲しがりそうですね。
岸浦:特に日本は製造業の現場で働く人手が圧倒的に足りていません。いまは外国人労働者にも助けてもらっていますが、それでも足りない。夏場の暑さの中での重労働なども含めて、機械化・ロボット化していく必要性は非常に高いと思っています。
国沢:中国の話に移りますが、すごい勢いです。中南米や東南アジアで中国メーカーにシェアを奪われることも充分脅威です。
岸浦:一番厳しいのはタイです。タイの関税が中国メーカーに有利だったこともあり、当社に限らず日本メーカーは苦しい戦いになっています。次に厳しいのがオーストラリアです。現地生産のメーカーがなく、完全に輸入自由化されているので、中国製のEVやPHEVも非常に安い価格で入ってきています。
国沢:怖いのはEVよりもPHEVだと思うんです。中国のPHEVは電池を大量に積んでいて、EV走行だけでの航続距離が長い。しかも中国メーカーには世界中のエンジン技術者が集まっていて、熱効率48%クラスの発電用エンジンも出てきました。
岸浦:まずエンジンの話ですが、先日発表した通り、当社も実験段階では新型エンジンで熱効率48%を達成しています。これをPHEV・ハイブリッド専用エンジンとして、今後発売する電動車に順次搭載していきます。エンジンは今後も長く必要になるという判断のもと、このタイミングで開発しました。
国沢:それはすごいですね! もうひとつ、御社は台湾メーカーとも協業していますが、どういう狙いなんでしょう。
岸浦:台湾との良好な関係も当社の強みだと思っています。中華汽車とは長年のビジネスパートナーで、非常に関係が良好です。開発したモデルを現地生産・現地調整していて、今後はエクスフォースの現地生産や車種展開も広げていきます。台湾は半導体をはじめとした技術力も高く、ビジネス上のメリットは大きいです。
国沢:タイ駐在時代に、中国系ネットワーク(華僑)の強さを実感されたのでは。
岸浦:そうですね。タイの経済における華僑の方々の影響力は、かなり大きいのではないでしょうか。今回、フォックスコン(鴻海精密工業傘下のBEVメーカー)とも新たに組んで、今年中にオーストラリア向けのEVを発売します。先週、岡崎で実車に乗ったんですが、完成度が高くて驚きました。
国沢:台湾メーカーのクルマに新しいエンジンを積んでPHEVを作る、というようなことも将来的にはあり得るんでしょうか。
岸浦:いろいろなパターンがあると思います。信頼関係があれば、お互いの強みを持ち寄っていくことは充分あり得ますね。
国沢:三菱の創業者、岩崎弥太郎は土佐藩の出身で、三菱はもともと海外に出て人と手を組みながら日本の強みを発揮する、というDNAを持った会社だったと思うんです。そういった強みが、三菱自動車はしばらく発揮できていなかったように思います。
岸浦:そうですね。苦しい時代が続いて、なかなか出せなかったです。
国沢:今日お話を伺っていて興味深かったのは、岸浦さんが世界中を見てこられた、というところだと感じました。それが三菱らしさに繋がっていくといいですね。
岸浦:ぜひ期待していただきたいです。世界を回っていると、マーケットシェア以上に、三菱というブランドへの期待度・存在感の大きさを改めて実感します。それにきちんと応えていきたいですね。













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