エコや快適性が重視される現在において、ニッチなニーズに応え続け『スーパーセブン』を製造している「ケータハム」を、日本のVTホールディングスという会社が買収し、子会社化したというニュースが飛び込んできた。
そもそもケータハムってどんなモデルを販売している会社なのか? をあまり詳しくない読者も多いと思うが、スーパーセブンとはどんなクルマというところから、日本企業に買収されたことにより、今後ケータハムはどうなっていくのか解説・考察をしていきたい。
文/岡本幸一郎
写真/編集部
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■ロータス時代から続く『セブン』の足跡
初めて表舞台に立ったのは、1957年秋のロンドンショーのこと。のちのケータハムではなく、鬼才コーリン・チャップマン率いるロータスの手により、誰でも手軽にサーキットまで自走してスポーツ走行をたしなめるようにと開発されたクラブマンレーサーは、経済力のない人がモータースポーツに入門するにはもってこいで、「公道を走れるフォーミュラカー」として発売されるや人気を博した。
見てのとおりキットカーを組み立てたようなシンプルな設計には、重量増を抑えるべく最小限の強度を確保することをヨシとしたチャップマンの思想も見て取れる。
正式な車名はあくまで『セブン』であり、ハイパワーエンジンを搭載するなどした高性能版を『スーパーセブン』と呼んだのだが、やがて後者の呼称のほうが広く親しまれるようになり、他メーカーによるレプリカを含め、すべてのセブンの通称名として定着したのは、『MINIクーパー』のケースと似ている。
ところが、構造がシンプルで大規模な設備がなくても生産できるセブンはロータスにとって好都合だった半面、人気が出て数が売れるようになると生産効率の低さがネックになるという、痛しかゆしの状況も。さらにはイギリス国内における優遇税制の縮小や、見込んでいた北米などの輸出先の状況変化を受けて、ロータスはセブンの生産終了を決断。かくして1973年、ロータスは自社製品の販売代理店であったケータハムに、セブンの生産権と部品や製造治具を含む生産設備とともに売却した。
ケータハムというのは、1959年にロンドン郊外のケータハムの地で開業したロータスディーラーが始まり。創業者のグラハム・ニアーン代表が自らロータス車を駆ってモータースポーツに参戦したことからコーリン・チャップマンとの親交が深まり、1968年にはセブンの独占販売権を取得した縁もあって、ロータスが生産終了を決めたセブンの製造販売を引き継ぐことになった。
セブンにはシリーズ1から4までがあるが、ロータスがセブンの生産をやめる頃に現役だったシリーズ4は、当時としては最新のレーシングカーの技術を取り入れたスペースフレームにFRPボディを架装するなどシリーズ3までとは、別物に進化していた。
ところが、当時流行のバギーカー風のデザインは不評で販売は伸び悩み、当初よりシリーズ3の再販を求める声が小さくなかったとか。さらには一新されたフレームの製作には高度な技術と設備が求められたこともあり、ケータハムでは1974年シリーズ4をやめてシリーズ3を生産することにした。
以降、現在にいたるまで連綿とシリーズ3をベースとする車両がセブンとして生産され、大なり小なり改良を加えつつケータハムの看板商品として販売され続けた。セブンが長らく愛されているのも、ケータハムが顧客らの要望に応えるべく、きめ細かく改良を加えるなど対応してきたのが大きいと評されている。
やがてケータハムは創業者の息子に引き継がれ、2005年にはその後に7年間にわたりCEOを務めることになる、元ロータスのゼネラルマネージャーだったアンサー・アリ氏らを中心とする投資会社のコルベングループに売却されたのち、2011年には航空会社のエアアジアなどを傘下に持つマレーシアのチューングループの一員となる。
そしてこのほど2021年4月1日付で、ケータハムの日本総輸入元であるエスシーアイを子会社に持つVTホールディングスが全株式を取得したことで、ケーターハムはVTホールディングスの子会社となった。
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