毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回はホンダ インテグラ(1985-2007)をご紹介します。
文/伊達軍曹 写真/HONDA
【画像ギャラリー】「クイント」から「アキュラ」まで… ホンダ インテグラの歴史をギャラリーで紐解く(29枚)画像ギャラリー■マイケル.J.フォックス 上皇陛下の愛車 エンジン 絶えず話題となったインテグラ
シビックとアコードの間を埋めるモデルとして、そしてスポーツカーではないが、スポーティで上質なクルマとして――つまり「スペシャルティカー」として、1985年に誕生。
以降、必要に応じたモデルチェンジを行いながら、スペシャルティカーとして一定の地位を確保し続けた。2代目は、当時の天皇陛下(現・上皇陛下)の愛車にもなった。
だがクーペあるいはスペシャルティカー人気の凋落とRVおよびミニバンブームの到来、さらには「5代目モデルの肥大化」という要因が重なったことで、生産終了を余儀なくされたモデル。
それが、ホンダ インテグラです。
1980年、当時のベルノ店系列で「ホンダ クイント」が発売されました。クイントはハッチバックとステーションワゴンの中間的な、今で言うクロスオーバー車で、シビックとアコードの間に位置する存在でした。
そのクイントのフルモデルチェンジ版として1985年に誕生したのが、初代インテグラです。当時の車名は「ホンダ クイント インテグラ」でした。
まずは3ドアハッチバックが登場し、のちに5ドアハッチバックと4ドアセダンがリリースされたクイント インテグラは、リトラクタブルヘッドライトを採用した低いボンネットと、ショートノーズ&ハイデッキのスタイリッシュなフォルムが魅力であると同時に、当時としては珍しい「全車に4バルブDOHCエンジンを搭載!」という点も大いに魅力的なシリーズでした。
言わばクイント インテグラは「第2期F1参戦で活躍したホンダの技術を、手頃な価格で手に入れられるコンパクトなスペシャルティカー」であり、そのことによって人気を博したのです。
1989年のフルモデルチェンジで車名からクイントの冠が外れて「インテグラ」となり、ボディタイプは3ドアクーペと4ドアハードトップの2種類に。
また上級グレードが搭載するB16A型1.6L直4DOHCエンジンには、ホンダ独自の可変バルブタイミング・リフト機構「VTEC」が、世界で初めて採用されました。
ちなみに2代目インテグラは、冒頭で触れたとおり天皇陛下(現・上皇陛下)の皇居内での愛車であったことでも有名ですが、そのほか、俳優のマイケル・J・フォックスさんが日本語で「カッコインテグラ」「調子インテグラ」「気持ちインテグラ」と駄洒落を言っていたテレビCMをご記憶の方も多いでしょう。
1993年に登場した3代目は、独立した丸型4灯プロジェクターヘッドランプを採用する意欲的なデザインで登場。
北米ではこの顔つきがウケたようですが、日本では今ひとつ不評でした。そのため1995年のマイナーチェンジ時に、日本仕様は一般的な横長のヘッドランプに改められてしまいました。
とはいえ3代目インテグラは、その歴史の中で唯一となるデュアルポンプ式の「リアルタイム4WD」が設定され、さらには「タイプR」がインテグラとしては初めて設定されるなど、何かとエポックメイキングなクルマではありました。
そして2001年には、結果として「最後のインテグラ」となった4代目が登場したわけですが、2001年をもって生産終了となったスペシャルティクーペ「プレリュード」と統合される形になった関係から、4代目はインテグラとしては初めて3ナンバーサイズの全幅(1725mm)を持つに至りました。
4ドアハードトップが廃止されて3ドアクーペのみとなった4代目インテグラが搭載したエンジンはK20A型2L直4DOHC VTECのみで、グレードも「iS」と、本稿では取り上げない「タイプR」のみでした。
しかし「シャープ&ソリッド・スタイリング」「エキサイティング・パフォーマンス」「セイフティ&エコロジー」を柱として開発された4代目インテグラは、タイプRではなくても、FFスポーティクーペの理想に近い作りではあったかもしれません。
しかしその販売は振るわず、結果として2006年9月に生産終了。翌2007年2月には、販売のほうも終了となりました。
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