■消滅の引き金?? 「4代目」のデザイン・ボディサイズについての是非
1985年から2007年までの22年間、4世代にわたって愛されたホンダ インテグラが――中国市場および北米市場で復活するとはいえ、生産終了の憂き目にあった理由。
それは、インテグラそのもののせいではなく、「スペシャルティカーという市場がなくなったから」というのが根本的なところでしょう。
1985年から1989年まで販売された初代クイント インテグラのモデルライフは、まさに「バブル前夜からバブル最盛期の日本」とリンクしていたため、「高性能なDOHCエンジンを搭載するスタイリッシュなスペシャルティカー」が売れるのは、ある意味必然でした。
そして1989年から1993年にかけて、2代目のインテグラが販売されました。
正確には1989年12月29日の日経平均株価大暴落と、翌1990年3月に大蔵省(当時)が行った「総量規制」により、いわゆるバブル景気は崩壊していたわけですが、実際の世の中はまだまだ――1992年頃までは――好景気の余韻が続いていました。それゆえ、スペース効率うんぬんに重きを置かない「スペシャルティカー」も、まだまだよく売れていたのです。
しかし3代目のインテグラが発売された1993年以降はいよいよ不景気風が吹き始め、人々は「気持ちよく走れるけど、あまり役には立たないスペシャルティカー」ではなく、「同じカネを出すなら、気持ち良くは走れないとしても、モノや人がたくさん載せられるクルマのほうがいい」というメンタリティになっていきます。
そのようにしてスペシャルティカーの市場は縮小し、ミニバンに代表される箱型の車が需要の中心となっていくわけですが、3代目インテグラは、そんなトレンドのなかでも「タイプRの存在による求心力」と「比較的小ぶりでスタイリッシュなクーペを求める人も、まだ絶滅はしていなかった」という理由により、その歴史を次につなげることができました。
しかし4代目インテグラが登場した2001年になると、さすがにクーペを求める層の数はきわめて少なくなっていました。
それに加えて、4代目は――ハードウェアとしての良し悪しは別として――スタイリッシュでも小ぶりでもなかったゆえに、ごく少数ながら残っていた「車を買うならクーペに限る」と考えていた人の心をつかむことができませんでした。
こうしてホンダ インテグラの命脈は一度途絶えたわけですが、だからといって「4代目」のデザインやボディサイズを責めるのは、やや筋違いであるような気がします。
なぜならば、仮に4代目、DC5型インテグラがきわめてスタイリッシュなデザインを持つ5ナンバーサイズのFFクーペだったとしても、「時代という大きな波」にあらがうことはできなかったはずだからです。
時代という巨大なサムシングに対して、たった1車種の車や1人の人間ができることことなど、たかが知れています。そういった意味では、インテグラの消滅は「必然だった」としか言いようがありません。
しかし同時に、時代というのは「巡るもの」でもあります。
それゆえ今後の時代の流れ次第では、北米アキュラブランドの新型インテグラが日本市場にも導入され、それがまずまずの人気を博す――なんていう世界線が、絶対に存在しないわけではないのです。
……どうなるかはもちろんわかりません。しかし、期待はしたいと思います。
■ホンダ インテグラ(3代目) 主要諸元
・全長×全幅×全高:4380mm×1695mm×1335mm
・ホイールベース:2570mm
・車重:1100kg
・エンジン:直列4気筒DOHC、1797cc
・最高出力:180ps/7600rpm
・最大トルク:17.8kgm/6200rpm
・燃費:13.8km/L(10・15モード)
・価格:177万8000円(1995年式 SiR II)
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