主翼が2枚あるような独特のカタチをしたR-HM。低速飛行が可能な反面、高度な操縦技術が要求されたという
R-HM型軽飛行機
なんともかわいらしい丸みを帯びた機体。まるでアニメのジブリ作品に登場しそうなこの飛行機は、4月17~20日の4日間、不動産管理業の立飛ホールディングスによって、同社のある東京都立川市で一般公開された戦後に生産された国産機だ。
全長5.80m、全幅8.00m、全高2.00m、最高速度150㎞/h、上昇限度3000m。
’54年に製作され、同年に試作機の初飛行に成功。 R-HMは櫛型翼配置と呼ばれる形状をしていて、 前翼の取り付け角の変化と方向舵だけで操作するために昇降舵と補助翼がない。 羽や胴体の表面は亜麻の布が張られている。
それにしても、なぜ自動車雑誌で不動産会社の飛行機なのか? というと、ご存じの方もいるかもしれないが、立飛ホールディングスの前身がこの航空機を生産し、戦前から続くこの技術が後の自動車産業に深く関わっているからなのだ。
公開された飛行機は「R─53」と「R─HM」の2機。日本は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって航空機の生産などがいっさい禁止されていたが、’52年に解禁になった。その年に作られた「R─52」が戦後の国産第1号機で、今回展示された「R─53」(画像下)はその翌年に製造された改良型。
いっぽうの「R─HM」(top画像)はフランス人技師により設計され、’54年に製造された試作機で、見てのとおり丸っこいフォルムが特徴。2機ともに布製の外板がキレイに張り替えられるなど修復され、今回は同社の創立40周年記念行事の一環としてお披露目された。
同社の前身は戦前から戦争中にかけて戦闘機や練習機を製造した「立川飛行機」。中島飛行機の一式戦闘機「隼」のライセンス生産なども行っていた。
終戦により事業閉鎖を余儀なくされたが、’52年に飛行機製作の活動が解禁されてから技術伝承を目的に設立された第二会社が製作した飛行機が「R─52」「R─53」「R─HM」の3機(各1機ずつ作られ、現存するのは公開された2機のみ)。
2人乗りのコックピットは保存状態がよくてとてもキレイだったいっぽう、戦後のGHQによる工場接収によって、立川飛行機出身の技術者が新天地を求めて活躍した事例も多数あった。
立川飛行機の試作工場長として軍用試作機の開発に取り組んだ外山保氏、田中次郎技師が中心となって東京電気自動車を設立。同社はたま電気自動車、たま自動車、そしてプリンス自動車工業という変遷を経る。
つまり、公開された「R─53」「R─HM」は、前身である立川飛行機の航空機技術という関係でスカイラインやグロリアなどにつながっているわけだ。
さらに、初代カローラなどの主査として活躍した長谷川龍雄氏も高高度防空戦闘機の設計主務を務めた立川飛行機出身者。立川飛行機の技術は、後の自動車産業に活かされ、自動車技術や生産に大きな影響を与えたといっていいだろう。
主翼の骨格製作、表面の布の張り替えや繰り返しての塗料の塗布など、試行錯誤しながらの極めて難しい作業を経て修復されたという「R─53」「R─HM」。
2機とも残念ながらエンジンは動かず、飛行することはできないそうだが、キレイに蘇った機体を目の前にすると、春の青空のなかを颯爽と軽やかに飛行する姿が目に浮かぶようだった。
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