23年末から話題になっていたTeam KAGAYAMAの24年レース体制。
24年2月には、ついにその正式発表が行なわれ、ドゥカティ・パニガーレV4Rのワークスマシンが全日本ロードレースにフル参戦することが明らかになった!
文/写真:中村浩史 Webikeプラス
加賀山の打診でドゥカティ本社が動いた!?
2023年12月、突然のように明らかになった、Team KAGAYAMA のドゥカティによるレース活動。ことの発端は12月に、イタリアのレースニュースサイト「GP-ONE」に掲載された、あるスクープニュースだった。
「独占ニュース! ボルゴ・パニガーレが鈴鹿8耐出場の準備に、日本のカガヤマにパニガーレV4を用意するようだ。ライダーは若い才能のであるミズノ、将来ホンダのような巨人と戦うにはカガヤマと組むのが絶好のチャンスと判断したようだ」
ボルゴ・パニガーレとはもちろん、ドゥカティ本社、そのレース部門のドゥカティ・コルセを指す地名のこと。外紙のニュースサイトにいち早く気づいた日本のファンは騒然。そしてチームカガヤマの代表、加賀山就臣は23年12月の取材に対して「いまの時期には何も話しません。すべて2月中旬のチーム体制発表会で明らかにします」とコメントしていた。
海外特有の長いクリスマス&イヤーエンドホリデーを経て、ついに全貌が明らかになったチームカガヤマの2024年レース参戦体制。なんと、東京・港区の在日イタリア大使館で行なわれたレセプションパーティで、加賀山がこう口火を切った。
「2014年、Team KAGAYAMAは、ドゥカティ・パニガーレV4Rで全日本ロードレースと鈴鹿8耐に参戦します。ライダーは水野涼、マシンはドゥカティのワールドスーパーバイクチャンピオンマシン、パニガーレV4Rのワークスマシンです」
噂は本当だった。門外不出のはずのドゥカティワークスマシンが、全日本ロードレース、そして鈴鹿8耐を走るのだ。
イタリア大使館というオフィシャルな場所、その庭園を望むバルコニーに展示されたパニガーレV4Rワークスマシン。2024年の全日本ロードレースで、まさかこんなことが現実になる。
ことの発端は加賀山が30年以上もレース活動を続けていたスズキの撤退発表だった。
「まずはスズキが2022年いっぱいですべてのレース活動から撤退したことが始まりでした。スズキは、これまでもレース活動を休止したことがありましたが、マシン開発を休止はしなかった。けれど今回の決定で、レースグループも解散、社内にレースグループのスペースもなくなり、机、イスすらなくなった――これは本当の意味での活動終了なんだな、と理解できました。ここまでお世話になって、スズキには感謝しかありません。けれど僕は、次のステップに進まなきゃならない、と思いました」と加賀山。
次のステップと言えば、これまでお世話になったスズキ、国内最大メーカーのホンダ、チャンピオンメーカーのヤマハ、ワールドスーパーバイクでの実績もあるカワサキという国内の選択肢と、もうひとつのメーカーが加賀山の頭の中にあった。
「ワールドスーパーバイクを見ていても、今の最強マシンはドゥカティだな、と思っていたんです。幸い、ドゥカティコルセのリーダーと親交があったので、メールを送ったんです」
ドゥカティコルセのリーダーとは、MotoGPのレース中継にも、よくドゥカティワークスチームのピット奥に映り込む、パオロ・チャバッティ。
「パオロさんとは、僕がワールドスーパーバイクに参戦している頃、最強王者で僕の憧れだったトロイ・ベイリスのチームマネジャー時代から親交があったんです。可愛がってくれて、時々一緒に食事をしたり、話す機会も多かった。一度、僕のヘルメットが欲しい、と言われてプレゼントしたこともあるんですよ」
チャバッティへのメールに、思いを込めた。いまの日本レースの現状、Team KAGAYAMAの立場、そして日本のレースをもっともっとメジャーにしたい、という加賀山の思い。いつか、ドゥカティでレース活動ができたらいい――そんな思いを込めたつもりだった。
加賀山の狙いは日本レースの活性化
「23年シーズンの春先かな、夏前にメールして、しばらくは返事もなくて、そりゃそうだよな、そうそう返事が来るわけじゃないか、と思っていたら、10月のMotoGP日本グランプリで会えるか、と返事をもらったんです。そこで、僕の思いをさらに上回る提案をもらったんです」
返事のなかった数カ月間、チャバッティは加賀山の日本での活動のことを調べていたようだ、と加賀山は言う。
ワールドスーパーバイクから日本に活動の場を移して、自らのチーム「Team KAGAYAMA」を設立したこと、鈴鹿8耐にケビン・シュワンツやMoto2ライダーを呼び寄せてチームを組んだこと、レース活動だけでなく、交通安全パレードに横浜元町商店街をJSBマシンで参加したこと、横浜スタジアムでもJSBマシンで登場し、プロ野球の始球式をやったこと、箱根ターンパイクを封鎖してレーシングマシンを走らせたこと。そして加賀山自身は一線を退いても、ハヤブサでテイストofツクバを走り、23年にはヨシムラスズキを率いて全日本ロードレースに出場していたこと。
「パオロさんに、お前のやっていることは知っている、お前なら大丈夫だ。ウチのマシンを貸してやる、って言ってもらったんです。ただ、やるならば本気で勝ちに行け、そのためにアルバロのマシンを出してやる、って」
当初は、ドゥカティスーパーバイク、パニガーレV4Rでレース活動を始め、まず2~3年は実績を上げて認めてもらおう、それからマシン貸与まで話が行けば――くらいに考えていた加賀山の、さらに上を行くチャバッティの提案。アルバロのマシンとは、ワールドスーパーバイクの22~23年チャンピオン、アルバロ・バウティスタと同等のマシン、つまりドゥカティのワークススーパーバイクということだ。
「最初は、ちょっとなに言ってるかわからなかったんですが、そこまで協力をしてくれるなら、後には引かない、やってやるぞ、という気持ちになりましたね。もちろん、今までの活動以上に大変な状況ですが、日本のレース界にカツを入れたい気持ちもあったんです」
加賀山の頭の中には、日本のレース界を思う気持ちが強かった。1990年代からプロライダーとしてレース活動をしている加賀山の目には、今の日本のレース界がガマンならなかったのだ。
「今の日本のレース界って、決して元気があるとは言い難いし、盛り上がっているか、といえばそうは思わない。僕はそれがいやだった。それは、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキが本気を出してくれれば、一気に盛り上がると思っているからです。今は中須賀君がいるヤマハワークスチームがひとり頑張っていて、勝ちすぎて、強すぎてつまらない、なんて言われている。ホンダには鈴鹿8耐で走ったマシンがあるでしょう? カワサキはワールドスーパーバイクを走るワークスマシンがあるでしょう? どうしてそれを出して来てくれないの? 事情があるならば、それを乗り越えて日本のレースを盛り上げてくれないと。だから単なるプライベートチームの僕らが、イタリアからマシンを引っ張ってきて勝ちまくってやろう、と。そうすればメーカーも本気で反撃してくれて、自然とレース界は盛り上がるはずなんです」
水野涼、ホンダからのマシンスイッチを模索!?
ドゥカティでのレース活動が少しずつ進み始める中、加賀山の元にある若手ライダーが相談に来たことがあった。23年シーズン、伊藤真一の元でホンダCBRを走らせていた、2015年J-GP3チャンピオン、17年J-GP2チャンピオンの水野涼だ。
「(2018年にJSB1000クラスに参戦を始めて)ずっと勝てないレースばかりでした。21-22年にはイギリススーパーバイクに参戦して、23年シーズンは日本に戻ってふたたびJSBクラスに参戦しました。でも、また納得のいくレースが出来ない。23年シーズンの夏過ぎかな、加賀山さんに相談に行ったんです」(水野)
水野にとって加賀山は、特に親しい先輩ライダーというわけではなかった。加賀山本人というより、ヨシムラスズキのマネジャーである加賀山に相談に行ったのだ。つまり水野は、ホンダからスズキへのスイッチを模索していたのかもしれない。
「ヨシムラ移籍云々というよりも、一緒に走っていて、スズキGSX-Rのポテンシャルが自分に合ってるんじゃないかな、と思ったことはありました」(水野)
相談を持ち掛けられた加賀山は、違う意味で水野を意識していた。
「23年はヨシムラスズキのマネジャーをしていて、他のライダーを見る時間がたっぷりあったシーズンでした。フリー走行から予選、決勝レースを見て、コース上でやっていること、レース準備も含めて、面白いライダーがいるな、と。それが(水野)涼だった。小排気量からスタートして、イギリスでもまれて、日本に帰ってきて明らかに走りが変わっていました。これはライダー目線じゃなきゃわからないことだと思うけど、サーキットで水野は誰より真剣にレースに向き合っていました。もちろん、当時は負けられないライバルチームのライダーだったけどね」
シーズンが進むにつれて、加賀山の頭の中にはドゥカティでのレース活動にめどがつき始め、水野は自身の将来に不安を感じていた。そして最終戦――。
「2レース制の最終戦、レース1でJSBクラス初優勝を挙げられました。ようしレース2もやってやる、と準備をしていたレース直前、数10分前かな、加賀山さんから連絡があって、チームスイートに顔を出したら、ドゥカティでレースする準備ができたぞ、ワークスマシンを走らせられるぞ、って。最初は何言ってるんだろうと思ったんですが、それがレース2のモチベーションになったのは事実だと思います」(水野)
23年の最終レース、最終戦MFJグランプリのレース2で水野は2連勝を決める。このシーズン、最強マシンであるヤマハYZF-R1を破った、唯一の男になったのだ。
「最後の2連勝のおかげもあったのか、ホンダにも24年シーズンへの契約延長のお願いも出せたし、ありがたいことに他のチームからのオファーももらいました。それでも、加賀山さんの体制がほぼ本決まりになったと聞いて、迷わず加賀山さんとドゥカティでレースがしたい、と決めました」(水野)
水野がイギリススーパーバイクに挑戦していた21~22年、トミー・ブライドウェルが、トム・サイクスが、ジョシュ・ブルックスがドゥカティ・パニガーレを走らせ、猛威を振るっていた。さらに23年にワールドスーパーバイクに代役参戦した時には、バウティスタの最強の走りを肌で感じてきた。
「パニガーレは、とにかく強い、速いという印象です。そのマシンに乗れる、それもワールドスーパーバイクのチャンピオンマシンに乗れるなんて、そんな話に乗らなきゃウソでしょう」(水野)
こうして、加賀山本人も驚くべきペースで、ドゥカティとTeam KAGAYAMA、そして水野涼のジョイントが決まった。もちろん急な話だったが、イタリアのニュースサイトにスクープされたのが12月12日、そのわずか10日後の年明けには、実は加賀山と水野、そしてTeam KAGAYAMAのメカニックの姿がボルゴ・パニガーレにあった。
加賀山にとっても水野にとっても、もちろんマシンを触るメカニックにとっても未知のレーシングマシンであるパニガーレV4Rの詳細解説レクチャーを受け、その足でスペイン・ヘレスのワールドスーパーバイクテストに同行し、マシンのセットアップを間近で見てきたのだという。
コメント
コメントの使い方