現在、全国のJRバス各社が運行している路線バスといえば、車体に青色と白色の飾り帯を入れた爽やかなカラーリングが施されている。それにしても青+白=JRのバスを連想するほど定着した感の強いあの配色、いつ頃から使われ始めたのだろうか?
文・写真・イラスト作図:中山修一
(バスマガジンWeb/ベストカーWebギャラリー内に、JRバスのカラースキーム考察にまつわる写真とイラストがあります)
■JR的には「ずっ〜と」です
JRバスは鉄道と同様にエリアごとに会社が分かれているが、各社の保有する路線バス車両のカラーリング自体は、塗り分け方に差異こそ多少見られると言えど、基本的にはどのエリアの車も青+白で統一されている。
いつ頃から青と白になったのかを掘り下げてみると、JRバスの発足当初である1987年の時点で青+白が標準色だったため、JRバスの歴史の枠内で述べるなら、最初からこの配色だった、ということになる。
JRバスの青+白の配色は、JRになってから新しく考え出されたものではなく、前身である国鉄バスの時代まで遡れる。では、国鉄バスでも発足当初から同じ色だったのかと注目すれば、こちらにはやはり今日へと至るまでの紆余曲折が見て取れる。
■国鉄バス=クリーム色の時代
国鉄バスが最初にバスの運行を始めたのは戦前の1930(昭和5)年のことだ。国鉄が過去に発行していた各種資料を開くと、「上部はねずみ色、帯は濃い紺色、下はクリームで帯の下にオレンジの線が1本通っている」との記述があり、現在のJRバスとは全く違う色だったのが窺い知れる。
この初期の国鉄バスは車両が現存しており、愛知県のリニア・鉄道館に保存されている。車体の塗色は当時の資料を忠実に再現しているようで、実車を見ると雰囲気がよく伝わってくるはずだ。
その後世界情勢の悪化にともない戦争色が濃くなると、「統制された鼠色一色」に塗られたと書かれている。当時撮影された車両のカラー写真は存在しないと思われるため、鼠色でもどの色調なのかは不明で、グレー系1色だったとまでしか想像できないのは致し方ないところ。
■赤系から緑系に変身
戦後しばらく経つと、市場に鮮やかな色の塗料が再び出回る様になり、それを機に国鉄バスも車体の塗装を変更することになった。
1950(昭和25)年頃に現れたのが、クリーム色を基調にマルーン色を組み合わせたツートンカラーだったと言われている。しかしこの色調は改良の余地があると判断されたようだ。
見た目の良さと、汚れが目立たないことに重点を置いた結果、1955(昭和30)年に、四国・九州の暖地用と、その他の地域向けの一般用の2種類のカラースキームが登場した。
一般用は上部がクリーム、下部がマルーンで、それぞれ1950年時点のものとは色調が異なっている。暖地用は上部は薄いクリーム、下部が青緑に塗り分けられていた。
さらに1959(昭和34)年以降は、暖地用のカラースキームで統一されるようになり、赤系だった国鉄バスが緑系の色合いへと軸足を移しているのがイメージできる。
また1960(昭和35)年には車体のサイドバンパー部にオリーブヴィスタ色の帯が追加されている。




