かつて下津井電鉄は茶屋町から児島を経由し下津井に至る鉄道路線を有していたが、段階的に廃止が進められ、1991(平成3)年に全廃のうえバス専業となった。1988(昭和63)年にはJR瀬戸大橋線が開業し、児島と岡山が鉄道で直結されると、岡山~児島間のバス路線をはじめ、再編が迫られることとなった。
一方で1989(平成元)年には、事業廃止した倉敷市交通局の一部路線を引き継ぐなど、会社の構造に変容がもたらされた時代であった。
(記事の内容は、2025年7月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2025年7月発売《バスマガジンvol.129》『平成初期のバスを振り返る』より
■国内4メーカーの路線バスが揃った平成初期……多様な仕様が見られた
下津井電鉄の路線バス車両は主に日産ディーゼル(現・UDトラックス)製と、日野製を採用してきた。しかし昭和末期、貸切向けの三菱車導入を皮切りに、宇野自動車からの中古バス導入や倉敷市交通局からの車両引継ぎによって三菱製一般路線車も仲間入りした。
また、1985年には1台のみエアロスター(P-MP618M)も自社導入された。いすゞ製もこの年、キュービックバス(P-LV214M)が1台導入され、異彩を放っていた。なお、近年になっていすゞ製路線バス車両も再び導入されるようになっている。
路線バス車両は1980年からエアサスが採用され、長距離路線にも快適な車両が用意された。一部にはワンロマ仕様も見られ、観光タイプの車体を架装した車両も在籍した。
かつて長尺車(ホイールベース5.5m級)が好んで採用されたが、昭和末期からは標準尺(同5.2m級)が採用されるようになり、若干サイズダウンしている。
ドア配置や仕様はこの時期に変化が見られ、前後ドアから、前中折戸、そして前中引戸へと移り変わっていったが、必ずしも年を追って移行したわけではない。
車体はそれぞれのメーカーともに純正車体が採用され、日産ディーゼル車は富士重工、日野車は日野車体製が架装された。
なお、日産ディーゼル製は1989年に導入された中型車RB系で、同型の指定車体であった西日本車体工業製が採用され、のちに大型車でも日産デ製、日野製に純正車体と平行して導入された。
この時代、一般路線バスの車体デザインは数種見られ、旧来の笹の葉のようなデザインに加えオレンジ濃淡のストライプが見られた。また、ストライプのものも地色がピンクのものとホワイトのものが存在した。
貸切バスは路線バスに先んじて西日本車体工業製が多く採用され、日野製や三菱製でも西日本車体工業製車体の採用が見られた。特にCII型と呼ばれる、車両後方にステップアップルーフ(屋根高を上げたスタイル)のサロンコーナーを有するボディが好んで採用された。
なお貸切バス事業は2000(平成12)年に、エスディケイとして分社化された(のちに、シモデンツアーサービス、下電観光バスと商号を変更)。
この頃の下津井電鉄は個性的な車両が多く見られ、事業者のこだわりも感じられた。標準化が進んだ現在のバスとは異なる趣があったと言えよう。
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