鉄道でおなじみのJRも、路線バスや高速バスなどを走らせている。その多くの車体にはツバメの絵が描かれているが、いつからツバメなのだろうか。
文・写真(特記以外):中山修一
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■ツバメのルーツはなんと90年以上も前に誕生していた
JRバス各社が今も使用しているツバメマークのルーツを辿ると、90年以上も昔の1930年まで遡る。
当時の国鉄に相当する鉄道省が、東京〜神戸を所要9時間という、当時としては「超特急」と呼ばれるほど速い列車を走らせることになり、公募をもとにして付けられた列車名が「燕」だった。
大変な人気を博し、鉄道省の象徴的な存在になるほどで、戦中に運休期間を挟んだものの、戦後の1949年に国鉄(日本国有鉄道)が発足すると、翌1950年1月に「つばめ」を復活させている。
また、国鉄は新たにプロ野球チームを運営することになり、球団名にツバメを表すSwallowを用いた「国鉄スワローズ」が1950年1月に創立した。
国鉄は1964年に球団を手放しているが、現在のヤクルトスワローズは、国鉄の時代に付けられた球団名の一部を受け継いでいる。
一方のバス事業では、国が運営するバスは戦前から存在していたが、1950年に国鉄バスとして再出発することになった。
その際、国鉄バスのシンボルマークを検討するにあたり、採用されたのがツバメをモチーフにしたものだった。1950年10月にデザインが発表されている。
1930年の特急「燕」誕生以降、ツバメは国鉄を象徴する鳥であったのが、国鉄バスのシンボルに選ばれた理由のひとつに考えられる。
さらに時系列で見ると、バスのツバメが最も後発となり、復活した名門特急と球団名に足並みを揃えた流れも想像できる。
■JR化後もツバメは残った!!
国鉄バスのツバメマークは、蒸気機関車の動輪と空を切り裂くように飛ぶ燕を組み合わせたデザインで、1951年から順次車両に飾られるようになった。
車体側面の左右に1つずつ取り付けられ、前面に国鉄の徽章である蒸気機関車の動輪マーク、または1958年制定のJNRマークを掲げるのが、標準スタイルと呼べるものだった。
国鉄バスは途中で車体色がグリーン系からブルー系に順次変更されたが、シンボルマークは当初と同様のものが継続して使われた。
当初のツバメマークはプレート式の立体的な作りをしていた。国鉄の最末期にあたる1986年頃になると、プレート式ではなく車体に直接ペイントしたものが、主に長距離用車両で見られるようになった。
1987年3月の国鉄民営化でJRが設立されると、国鉄の時代に導入された多くの車両で、前面の動輪マークがJRマークに置き換えられたが、ツバメマークは上に書かれた「国鉄」の文字だけを消して、そのまま残る形となった。
JR化後の導入車両にプレート式のツバメマークが使われる機会はあまり無くなったようで、国鉄末期の長距離用車両と同様、動輪を省略したツバメ単体のイラストを車体に直接描くようなった。