1970~80年代のバス革新期にタイムトリップ!! それは輸入ダブルデッカーの流行り始めた時だった

1970~80年代のバス革新期にタイムトリップ!! それは輸入ダブルデッカーの流行り始めた時だった

 1970年代後半から1980年代にかけて、日本のバスに見られた特徴的な出来事に、ヨーロッパ製のダブルデッカーやスーパーハイデッカーの輸入がある。

 観光バスの看板車として一世を風靡し、二階建ての客室はもとより、その外観のスマートさやカラーデザインは、日本のバスに大きなインパクトを与え、その後の日本のバスに幾多の影響を及ぼした。

(記事の内容は、2024年6月現在のものです)
執筆・写真/鈴木文彦(交通ジャーナリスト)
※2024年6月発売《バスマガジンvol.125》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より

■ネオプランスカイライナーの衝撃

【写真1】中央交通が輸入し営業を始めたネオプランN122。この塗り分けものちの日本のバスに影響を与えた(1983年)
【写真1】中央交通が輸入し営業を始めたネオプランN122。この塗り分けものちの日本のバスに影響を与えた(1983年)

 ヨーロッパからの輸入車が日本のバスで営業されたのは、実は結構以前のこと。中央交通(大阪)が1977年にドイツのゴッドローブ・アウベルター社の製造した「ネオプラン」ブランドの観光バスを輸入し、貸切バスとして営業開始した。

 まだ日本のバスは日野がスケルトンバスを世に出し始めたモノコックボディ主流の時期に、スマートな外観やトータルコーディネートされた内外装は、大きなインパクトをもたらした。

 このとき輸入されたのはネオプランN116/3シティライナーと呼ばれる、ベンツのエンジンを持つ3軸スーパーハイデッカーだった。これがきっかけとなり、1979年に中央交通はネオプランのN122/3スカイライナーと称するダブルデッカーを輸入した。

 【写真1】は中央交通が導入した初期のN122/3であるが、スマートな外観と何より二階建てのインパクトにより、空前のダブルデッカーブームをけん引した。

 もともと二階建てバスを想定していなかった日本の道路運送車両法では、車両の全高を3.8m以下と定めており、4mを超えるヨーロッパのダブルデッカーはそのままでは登録できない。ネオプランは日本を有望な市場と考えたか、右ハンドルで全高を3.8mに抑え、リヤに非常口を設置したモデルを製造した。

■ネオプランダブルデッカーの拡充

【写真2】台東区が保有し東京都交通局が運行した上野~浅草間の二階建てバス。独立平面窓やドアに廉価版としての特徴があった(1982年)
【写真2】台東区が保有し東京都交通局が運行した上野~浅草間の二階建てバス。独立平面窓やドアに廉価版としての特徴があった(1982年)

 中央交通に続いて同じ大阪の中央観光バスがネオプランN122/3スカイライナーを導入、中央交通がネオプランの輸入代理店となったのち、中央観光バスは自社でバル・C.S.B商事を設立して独自の輸入ルートを確立した。

 N122スカイライナーに続き、廉価版である平面分割ガラスのN326が輸入され、1981年に初の定期運行二階建てバスとして東京都台東区(上野~浅草=東京都交通局運行)で採用され、注目を集めた。

 貸切バス事業者にも導入されたが、その後よりデラックスな外観へのニーズに応じて、平面ガラスながら連続固定窓としたN326Jが日本向け仕様として製造された。

 【写真2】は上野~浅草間を走るN326で、【写真3】は貸切バスとして導入されたN326Jである。外観的にN122に劣らないため、N326Jによってダブルデッカーは各社の「看板車」として全国に拡大した。

 こうしてネオプランは輸入車の主流となり、その後ダブルデッカーの別バージョンやスーパーハイデッカー、アンダーフロアコックピット(UFC)なども輸入されるが、多種多様な仕様があるので、これについては別の機会にまとめたい。

■ヨーロッパ車輸入の多様化

【写真3】日本仕様で製造されたネオプランN326Jの柿木観光バス(長野)納入車。N122に見劣りしない外観が納入車数を増やした(1985年)
【写真3】日本仕様で製造されたネオプランN326Jの柿木観光バス(長野)納入車。N122に見劣りしない外観が納入車数を増やした(1985年)

 ネオプランに続き、ベルギーのバンホール製ダブルデッカーTD824アストロメガが1982年に輸入された。直線的なデザインと独特なカーブがついたフロント、丸2灯のヘッドライトなどが特徴の同車は、三井物産名古屋支店が代理店となり、名鉄系の工場で艤装を行った。

 このため、名古屋観光自動車や岐阜乗合自動車など名鉄系での導入が大半となった。バンホールものちにスーパーハイデッカーや後部二階建てなどが追加される。

 1983年にははとバスにドイツのドレクメーラーのダブルデッカーE440メテオールが導入された。伊藤忠商事が輸入し、東京いすゞが販売・アフターケアを行う仕組みを構築し、1982年に完成車として輸入を開始した。

 高級感があるとの評価のもと、静岡鉄道や大阪市交通局など20台ほどが導入されている。ドレクメーラーはその後、シアタータイプのスーパーハイデッカーE330Hヨーロコメット、UFCのE420コルセアもラインナップされるが、特殊性からか数台にとどまっている。

 ドレクメーラーと同じ輸入・販売体制のもと、ヨーロッパで最大シェアを誇るケスボーラーのUFCゼトラS216HDSが1983年に輸入された。これもUFCの特殊性からか6台にとどまっている。

 1983年にはバル・S.C.B商事がドイツのマンのダブルデッカーを輸入した。独立窓や前扉のみの仕様などで低価格設定がなされ、中央観光バスグループを中心に30台ほどが輸入された。

 同じバル・C.S.B商事は1986年にオランダのボーバからスーパーハイデッカーのフートゥラを輸入した。前面の大胆な曲面はインパクトが大きかったが、普及には至っていない。

【画像ギャラリー】なんとなくロンドンの香り!? 海外のモダンな雰囲気が感じられる輸入ダブルデッカー&スーパーハイデッカー(9枚)画像ギャラリー

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