毎年9月20日は、日本バス協会が定める「バスの日」。日本で初めて路線バスが走った日を記念したものであるが、第一号となった日本のバスはどんな存在だったのだろうか。
文・写真(特記以外):中山修一
■日本初!! 路線バス誕生前夜
2023年のバスの日をもって、日本のバス史はちょうど120年を迎える。今から120年前の1903年は、元号で示すと明治36年にあたる。路線バスの直接なルーツは明治時代に誕生したわけだ。
どこで日本初のバスが走ったのか……その舞台は京都だ。明治36年に大阪で開催された博覧会に、当時まだ珍しかった自動車が出品されると一躍話題になった。
自動車の登場に刺激を受け、自動車を交通機関の道具・つまりバスとして用いる出願が、同時期に各地で出されたようだ。
特に京都は先見の明を持った人々が多く、出願が盛んな地域となった。その中で、西陣織物業者を営んでいた福井九兵衛の、バスへの関心は大変高いものであった。
明治36年8月中旬に出願し、その間に車両調達を含めた準備を行い、翌月の9月20日には営業運転までこぎつけるという、有り得ないほどの早業で夢を現実に変えてしまったのだ。
■二井商会の京都乗合自動車
福井九兵衛は、新たに興したバス事業者を「二井商会」と名付けた。営業運転用の車両として、アメリカのメーカー・ロコモービルが製造していた自動車を、手始めに2台輸入した。
米本国での車両本体価格は当時の額面で600〜1,400ドル(今の315万〜738万円)。うち日本まで輸入したものは1台2,000円ほどだった。感覚的に今の2,000万円前後と考えれば、本気度が窺い知れる。
ガソリンエンジンではなく蒸気自動車だったのも特色。ナフサを燃料とする2シリンダー927cc、6馬力が標準的なスペック。二井商会では、2人乗りであるところを6人乗りに改造して乗合仕様としている。
京都市内の堀川中立売を起点に、現在の京都駅に相当する七条停車場と、祇園石段下とをそれぞれ結ぶ2路線が設定された。運賃は1区間あたり4銭(3〜400円くらい)。
当時の時刻表によれば、七条停車場線が7:00〜15:00まで、祇園石段下線は15:00〜0:00までの運行と、ローテーション方式で車両をやりくりしていた。
運転速度は時速12キロ程度とかなり遅め。出そうと思えば時速40キロくらいまでは出せたようだが、スピードが早すぎて乗客が振り落とされてしまわないよう、意図的に速度を下げていたようだ。