いまやバスに限らず運輸業界全体でドライバー不足だ。それでもバス運転士不足が深刻化したのは最近のように見える。10年くらい前といえば中型免許が新設されてトラック業界が深刻だった。当時のバス業界はどうだったのか。探ってみた。
文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)
(写真はすべてイメージで本文とは関係ありません)
■最初に困ったのはタクシー?
タクシー業界は景気に左右されやすく、値下げ合戦が行われた。規制緩和で複数運賃が認められ、法人タクシーが乱立した時代には水揚げ(売上)はあってもドライバーの年収は下がり続けた。そのためドライバーのなり手が少なく、車両はあるのにドライバーがいないという悪循環に陥ったのもこの時期だ。
それでも免許は普通二種でよいため、採用さえすれば大型二種と比較して少ない投資で普通二種免許を取得させ、都市部では地理試験対策を行ってドライバーを養成してきた。
いまでも不足してはいるものの、ダイヤ通りに決まった本数を運行しなくてはならないバスと違い街に出る台数が少なくなるだけで、致命的な状況になることはない。
バス事業者が路線廃止して自治体がコミュニティバスとして引き受ける際に、地元のタクシー会社に運行を委託しているケースもあり、地方から収益構造がタクシーだけという時代ではなくなってきている。
■トラック業界は免許制度に翻弄される
一方でトラック業界は中型免許の新設で、当時のいわゆる4トン積みトラックを普通免許では運転できなくなったため、そうでなくても高齢化していたドライバーの年齢構造が偏ってしまう危機にあった。4トントラックで修業をして大型免許を所得、その後に大都市拠点間の長距離デビューという流れが不可能になってしまった。
悲鳴を上げたトラック業界はせめてルート配送程度のトラックを18歳から運転できるように強く要望したところ、準中型免許が登場して少しだけ落ち着きを見せた。しかしその後の通販拡大により運賃の低廉化を招き、仕事は増えても収入が上がらないというジレンマに陥り、いわゆる2024年問題を迎えようとしている。
■10年前のバス業界
では10年前のバス業界はどうだったのかというと、決して運転士が充足していたわけではなく、どこも常時運転士の募集はしていた。
しかし大型二種免許を会社の負担で取得させる事業者はまだ少なく、自力で免許を持ってこなければスタートラインに立てなかった。当時の事情を複数の経験者に聞いてみた。聞いた全員が最低限、大型免許を持って応募した方の話だ。
「強気でしたよ。今では考えられないですね。私が応募したのは西日本の当時はまだツアーバスと呼ばれていた貸切バス専門会社でした。面接はとりあえずという感じで、すぐにハイデッカーの古いバスに乗せられて走らされました。
狭い道で左のミラーが木の枝に接触したのですが、その時に『修理代は運転士と折半だから気をつけてね』と言われ、当然ですがブラックを感じて入社しませんでした」
「住んでいるところとは少し遠い会社を受験しましたよ。遠いので自家用車で受験に行ったのですが、面接でどこに住むのかとか、家賃はどうするのかとか、給料安いけど大丈夫とか言われて、すっかりなえてしまってやめました。その後は普通自動車による運転試験だったのですが帰りました」
「とにかくバスの運転士になりたくて、遠隔地の有名なバス会社に書類を送りました。そうしたら電話がかかってきて、『遠いと引っ越しや住む場所を探すのが難しいのではないですか』と辞退をほのめかされたので、受験そのものをやめました」
「私が応募したのは当時としては間口が広いというか、大型一種でもOKな大手のバス会社でした。面接はきっちりしており、原稿を渡されて車内アナウンスの試験もありましたけど、結局は連絡が来なかったのでそれっきりですね。同じ組で受験した人は全員採用されなかったみたいです。今考えるとあの給料では…と思いますけどね」