交通ジャーナリストである筆者の鈴木文彦氏が、約50年に及ぶ取材活動の中で撮影してきたアーカイブ写真。ここから見えてくる日本のバス史を紐解くこの企画。今回は方向幕が時代を感じさせてくれる時期をご紹介する。
1970年代は路線バスと貸切(観光)バスの差別化が進んだ時期であった。それまでは同じつくりで車内をロマンスシートで構成した前扉車を貸切バスとして使用していたが、60年代末期から順次エアサス、リクライニングシート、引違い窓(メトロ窓)そして冷房とサービスが追加されていく。
さらに70年代後半には、快適性の向上や優越感を持たせる意味で車高(客席の視点)を高くするようになる。外観的なスマートさも相まって最初にその方向性が反映されたのが「セミデッカー」であった。
(記事の内容は、2023年7月現在のものです)
執筆・写真/交通ジャーナリスト 鈴木文彦
※2023年7月発売《バスマガジンvol.120》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より
■観光バス高級化の第一段階
セミデッカーとは、屋根の途中に段差がつき、段差部分に明かり窓を配したつくりの観光タイプのバスを言う。車体全体をかさ上げした形で客室にタイヤハウスの突起が出ない「ハイデッカー」が現在の標準的な形だが、これに至る前段階とも言える。
ただ、セミデッカーという言葉自体は現在のハイデッカーが「フルデッカー」と呼ばれて出現したのに対しての「セミ」と考えられるので、呼び名がいつから、というのは実は定かではない。
視界の向上とタイヤハウス突起の縮小により居住性の向上を図る目的で全高をアップした第一段階がセミデッカーで、外観的には屋根の途中に段差をつけて後部を高くし、段差部分には色付きの明かり窓が設けられて、スマートでデラックスなイメージを形づくった。
ただ、全高は標準床(「○○デッカー」が出てからは「平ボディ」と呼ばれることも多くなった)の車両に比べて約20センチメートル高くなった程度なので、床自体はタイヤハウスがある程度残る高さではあった。
このようなつくりは1960年ごろに特注で造られたケースはあるが、モデルとしては三菱が先行し、1964年に第3柱のところから上がるセミデッカーをオプション設定、当時の高出力タイプMAR820/870型に架装した。
【写真1】はその後路線バスに転用してからの写真だが、初期のセミデッカーの貫禄が見られる(明かり窓は塞いでいる)。