20世紀終盤に世に放たれたヴィッツは、日本カー・オブ・ザ・イヤーのほか欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞した逸材。世界の小型車を変えた存在と謳われているが、評価された理由とは?
文:小鮒康一/写真:ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】ディーゼルターボ用ユニットと大容量ラジエータを搭載したヴィッツRSターボがぶっ飛んでて最高すぎる(12枚)画像ギャラリー欧州のライバルと対等に渡り合えるクルマづくり
1999年1月に新たなトヨタのボトムラインを担うコンパクトカーとしてリリースされたヴィッツ。
世界に通じるコンパクトクラスのベンチマークの創造を開発テーマに掲げたヴィッツはそれまでのコンパクトカーの常識を塗り替えるモデルとなったのだが、果たしてなにが今までのコンパクトカーと違ったのだろうか。
それまでのトヨタのコンパクトカーといえば、スターレットやターセル/コルサ/カローラIIのタコII3兄弟など、とにかくコストパフォーマンスが優先されたクルマが人気の中心となっていた。
一方、ヴィッツは日本だけでなくコンパクトカー激戦区と言われる欧州地域でもライバルと対等に渡り合える実力を兼ね備えることが必須条件とされており、シャシーやパワートレインなどすべてが新開発されたものとなっていたのである。
そのためヴィッツはシンプルでありながら、愛されるエクステリアデザインや、斬新なセンターメーター、コンパクトカーでありながら広い室内空間を持つモデルとなる。
新開発ならではの衝突安全性能の高さや、1Lエンジンの環境性能の高さなども欧州を含む海外で高い評価を集めたのだった。
【画像ギャラリー】ディーゼルターボ用ユニットと大容量ラジエータを搭載したヴィッツRSターボがぶっ飛んでて最高すぎる(12枚)画像ギャラリーモータースポーツシーンをはじめマルチに大活躍
また当初はリッターカーとして登場しながらも、1.3Lや1.5Lモデルを追加しても破綻することのない高いシャシー性能を誇った(TRDが手掛けたターボモデルまで存在していた)。
汎用性の高いプラットフォームはプラッツ、ファンカーゴ、イスト、bBといった派生車種を多く生み出したのも特徴的だった。
そして当初から欧州もターゲットとしたことで、欧州向けモデルは現地で生産するなど、世界戦略車としての土台作りという点でもヴィッツ(欧州ではヤリス)はエポックメーキングなモデルだったと言えるだろう。
そんな初代ヴィッツは、日本カー・オブ・ザ・イヤーだけでなく、欧州カー・オブ・ザ・イヤーも見事に受賞。日本国内では不動の人気を誇っていたカローラの販売台数を超える数字を叩き出したことも記憶に新しい。
それ以外の部分では、スターレット時代からワンメイクレースは実施されていたものの、ヴィッツになってからはよりモータースポーツへの敷居を下げるために、ナンバー付のワンメイクレースであるヴィッツレースをスタート。
モータースポーツベース車の「TRD-MSB」を安全装備や足回り強化を実施した上で、ベース車のわずか22万1千円高で販売したことも初代ヴィッツの凄さのひとつと言えるだろう。
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コメント
コメントの使い方完全にゲームチェンジャーでした。全てに「当時の中では」が付きますが、サイズの割に広い室内はフィットなど様々な後追いを生み
クラスで抜きん出た走りの良さは欧州メーカーが必死に挽回をしていく事になり、内装も価格に対して洒落ていて、後発全てが影響受けました
また、出た時期も良かったですね。類例ではティーダが本革な内装持っても早過ぎて不発、しばらく後DJデミオが本革内装で出たらコンパクトカー全体が追従