首都高速の一部であるかのように一体化して道路網を形成していた「KK線」こと東京高速道路。このKK線が、2025年4月5日の20時をもって廃止された。混雑回避に重宝していたベストカー編集部は感謝を込めて最期の瞬間に密着した。
※本稿は2025年5月のものです
文:ベストカー編集部/写真:ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2025年6月10日号
ありがとうKK線!! その最期の瞬間を見届ける
首都高速の一部のように一体化して道路網を形成していた「KK線」こと東京高速道路。
東京都心のど真ん中、銀座~有楽町~新橋~汐留を走る自動車専用の高架道路で、道路下は商業施設が入る賃貸スペースとなっている。
この賃貸収益を道路建設費、維持管理費に充てることで無料で通行できるという画期的なシステムで運営されてきた。
KK線の開業は66年前の1959年。首都高速の開業より3年早かったので、都心を走る初の「高速道路」だったのだ。
蓬莱橋~新京橋の全線開通は1966年。首都高速と接続され、一体的な運用が開始された。その後1973年には首都高八重洲線と接続し、さらに道路網が充実した。
都市計画の発展的理由により廃止
そんなKK線だが、去る2025年4月5日(土曜日)の20時をもって、東銀座出口を除き全線廃止となった。その背景には首都高都心環状線の再整備が大きく関係している。
現在、日本橋の真上に高架で渡される都心環状線を地下化する計画が進行中だ。
これと並行しKK線と接続する首都高八重洲線を地下トンネル(新京橋連絡路)で延伸し、短絡ルートを建設する整備事業が開始される。
このルートが現在のKK線と近く、また、工事に伴い八重洲線が通行止めとなることなどから、「KK線はその役割が大きく低下する」として廃止が決定したのだ。
ベストカー編集部のある音羽界隈から横羽線やレインボーブリッジ方面を目指す場合、KK線を利用すると、混雑する江戸橋ジャンクション~京橋~銀座区間の都心環状線をショートカットして浜崎橋へ時短できた。
とても便利で日常的に使っていただけに廃止は残念だ。最終日に走り納めをし、閉鎖の瞬間を見届けてきた。
廃止は残念だが、日本橋界隈の景観への発展的廃止であればそれを受け入れ、2035年の地下ルート開通、そして2040年とされる日本橋エリアの高架道撤去完了に期待したい。
ところで廃止となったKK線跡地だが、道路下の商業施設は今後も継続して営業をする。道路だった「屋上」は、今後遊歩道をメインに「人」を中心とする公共空間として整備される「Roof Park Project」が進められる。
東京高速道路の歴史
東京高速道路の歴史は古く、首都高速開通よりも早い1959年6月に有楽町、銀座といった都心の繁華街に建設された。
商業ビルの屋上を道路とした画期的な方式で、まずは土橋~城辺橋間で一方通行で開通した。その後延伸され首都高と接続し、都心道路網を構築した。











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