平成の名車三菱 GTOやデボネアのベース車としても知られる初代ディアマンテ。同時期のトヨタには強豪90系マークIIがいたにもかかわらず、その人気を凌駕し覇者となりかけていた。しかし、名車ディアマンテはわずか2代で終わってしまう。その原因はなんだったのだろうか?
文:小鮒 康一/画像:三菱、トヨタ
【画像ギャラリー】90系・100系マークIIとガチンコ勝負! GTOやデボネアのベース車はやはりグレートな素性の持ち主だった!(14枚)画像ギャラリー3種類の排気量で天下を獲るほどの人気っぷり!
1990年5月に三菱が投入したアッパーミドルクラスのハードトップセダンであるディアマンテ。当時、3ナンバークラスになると一気に跳ね上がっていた自動車税が改正されることをいち早く知った三菱が、3ナンバーサイズのボディと、新たな税制区分に合致する2L、2.5L、3Lの3種類の排気量を持つエンジンを用意したことで、一気に人気車種に上り詰めたのだ。
その人気ぶりはすさまじく、三菱自らマイナーチェンジ後のキャッチコピーで「ミディアムカーのシナリオは、ディアマンテが作る」と、勝利宣言にも近いものを使用するほどだった。
一時はマークIIを凌駕する人気ぶりだったが……
そんなディアマンテだが、栄光の日々は長くは続かず、わずか2世代でその歴史に終止符を打つこととなってしまった。一時は同じくアッパーミドルクラスセダンの雄であるマークIIを上回るような人気ぶりだったにもかかわらず、なぜその勢いを継続させることができなかったのだろうか。
ディアマンテが終売する決定的な出来事と言えば、やはり2000年に発覚したリコール隠しの影響で、三菱の経営が大きく傾いたからというのは間違いないが、ディアマンテ自体が2代目モデルへとフルモデルチェンジを果たしたのは1995年のことだった。
このときになればディアマンテの後塵を拝していたライバルメーカーも、ディアマンテを倒すべく進化したモデルを投入してきていたのである。
成功が逆に足かせに!?
一方のディアマンテは、初代が大ヒットしたことで大きな路線変更をしにくくなってしまったのか、デザインなどは初代のキープコンセプトと呼べるものに留まっていた。
にもかかわらず、ボディサイズはよりゆとりのある室内空間を実現しようと大型化がなされており、ラインナップも2Lモデルを廃止して、2.5Lと3Lのみと、明らかに上級移行をしていたのだ。
となるとライバルもマークIIクラスだけでなく、クラウンやセドリック/グロリアなどとも戦わなければならなくなり、残念ながらディアマンテは力及ばずという形になってしまったということになる。
もちろん2代目ディアマンテも着実に進化していたのは間違いないのだが、初代のような目新しさや、税制区分によるアドバンテージもなくなってしまったのも痛手だったと言えるだろう。
ただアッパーミドルクラスのセダンに前輪駆動レイアウトやそれをベースとした四輪駆動モデルを持ち込んだという功績は色あせることはなく、今後もエポックメーキングな1台として語り継がれていくハズだ。

















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