日本の自働車メーカーはこれまで、日本独自の規格である軽自動車の可能性を追求し、その努力は、SUVクロスオーバーのスズキハスラーや軽スポーツカーのホンダS660など現在の個性派軽自動車を生み出してきた。
その個性派のなかでも突出した特徴を持つ、ガルウィングの軽スーパーカーを、現在は独自軽自動車を作っていないマツダが作ってた。そう、AZ-1だ。
本企画ではそのオートザムAZ-1を紹介する。
文:大音安弘 写真:MAZDA
■開発主査はユーノス・ロードスターと同じあの人
ガルウィングを備えたスーパーカー然としたスタイルは、今となってもかなり衝撃的だ。
しかし、AZ-1が、「スーパーカー風の軽」だと思うのは早合点。その内容は、まさにピュアスポーツといえる内容だった。
パワートレインこそスズキアルトワークスからの流用であったが、ミッドシップレイアウト、専用シャシー、完全2シーターのキャビンなど贅沢な構造を与えられていた。
AZ-1は、元々、コンセプトカーであったAZ550スポーツ(1989年の東京モーターショーに出品)を市販化したもので、生産性など現実的な部分を考慮して設計されたものではなく、開発は困難を極めたという。
大きな壁にぶつかったAZ-1開発の指揮を任されたのが、あのユーノス・ロードスターの生みの親である平井敏彦氏(初代ロードスター開発主査)だ。
平井氏は、AZ-1をスポーツカーとして成立させるために、トランクレス、高くせり上がったサイドシル、リクライニングしないシートなど、性能を犠牲にしなくてはならない快適性をになう機能は徹底的に無視。
コンセプトカーだったAZ550スポーツの象徴的なアイコンのひとつ、リトラクタブルヘッドライトさえ、無駄な重量とバランスをスポイルすると取り払わせたほどだ。
平井氏の手腕により、コンセプトカーにすぎなかったAZ550スポーツは、命を吹き込まれ、マツダのオートザム店のフラッグシップカーとして世に送り出された。
価格は149万8000円と(当時としては)高価だったが、生産の手間や内容を考えればバーゲンプライスといえた。
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