トヨタもビビった!? 「赤いファミリア」の衝撃は今後ありえるか?

■マツダ ファミリアの黄金期

 このようにかなり完成度の高い5代目ファミリアはさらにボディカラーにソリッド系の赤色をラインナップ。これがファミリアレッドと名付けられ、都会的なスタイリングとピッタリとマッチし、ファッションに敏感な若者の間で評判になった。

 ファミリアの人気はデビュー翌年の1981年には年間の新型登録台数でトヨタカローラ、日産ブルーバードに次いで3位に入るまでになった。さらに人気は高まり、1982年には月間登録台数で3回もトップに立った。1983年には5回も1位に輝いたのだ。

 もちろんこれは、当時ダントツの販売ナンバーワン車だったトヨタカローラを抑えてのトップ。文字どおりの人気車種になったのだ。

 発売2~3年目を過ぎると中古車も多く出まわるようになった。車両価格もこなれてきたところで、学生などのヤングユーザーが乗るようになった。

 それを見越したようにチューニングショップやドレスアップショップから、次々とファミリアをターゲットにしたパーツも売り出された。当時のエアロパーツカタログを見ると実に12社がファミリア用のパーツを販売していた。

■走りを重視したターボでイメージアップ

 ハンドリングのよさをさらに実感させてくれたのは1983年に登場したターボモデル。スポーティな走りとクリーン&シンプルなファミリア3ドアのイメージがピッタリと合い、FF2ボックスのボーイズレーサーのトップに立った。

ファミリア ターボ スポルトヨーロッパ(ファミリア乗用車誕生20周年特別仕様車・1984年2月発売)(5代目)
ファミリア ターボ スポルトヨーロッパ(ファミリア乗用車誕生20周年特別仕様車・1984年2月発売)(5代目)

 メーカーもファミリアのポテンシャルの高さを生かそうと積極的にモータースポーツに参加した。なかでも1984年にはWRC(世界ラリー選手権)のモンテカルロラリーに3台のファミリアターボをエントリー。

モンテカルロラリーに出走したグループAのファミリアターボ。当時はグループBがトップカテゴリーでマツダはSA22C型RX-7とともにマツダ323として参入していた
モンテカルロラリーに出走したグループAのファミリアターボ。当時はグループBがトップカテゴリーでマツダはSA22C型RX-7とともにマツダ323として参入していた

 1.5Lターボエンジンやサスペンションをチューンしたマシンは総合順位で2台が11位と20位。グループAクラスでは、アウディクワトロ80、VWゴルフGTIに次ぐ3位に入賞したのだ。

 5代目ファミリアは、日本の若者だけではなく、世界の若者たちにもその存在をアピールした。

■トヨタの独走を止めるクルマ

 初代ファミリアは1964年10月、東京オリンピックの年にデビューした。マツダの乗用車のなかではもっとも古参のクルマだった。バンから出発し、4ドアセダンを追加。1965年にはスポーツセダン、クーペも発売された。クーペは2代目の時にロータリーエンジンを搭載するなど、スポーツ路線をキープしていた。

 ヒット作は4代目で、FRだが2ボックススタイルを採用し、人気を集めた。この流れで5代目はFF2ボックスになったのだ。

1977年に発売されたマツダ ファミリア 4代目FA4型。この代まで後輪駆動を採用している、写真は3ドアのスーパーカスタム
1977年に発売されたマツダ ファミリア 4代目FA4型。この代まで後輪駆動を採用している、写真は3ドアのスーパーカスタム

 最近の新車登録を見ているとプリウス、アクア、ヤリスなどトヨタ勢の独走が続いている。5代目ファミリアのような現代的なスタイリッシュファミリーカーを出してくるのはどのメーカーだろう。

 デザイン重視の流れからマツダにMX-30の次あたりでビッグヒットを期待したい。

【画像ギャラリー】なつかしいあの頃のファミリアを写真でチェック!!

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