トヨタもビビった!? 「赤いファミリア」の衝撃は今後ありえるか?

トヨタもビビった!? 「赤いファミリア」の衝撃は今後ありえるか?

 1980年6月のフルモデルチェンジで誕生し、一大ブームを巻き起こした5代目ファミリア。特にイメージカラーだった赤いボディの「赤いファミリア」はサーフィンやスキー、テニスなどを楽しむ若者にも支持され、爆発的に売れた。

 その売れゆきは、当時絶対的なベストセラーカーとして君臨していたトヨタのカローラと肩をならべたほどだった。トヨタもきっと驚いただろう、大ヒットした5代目ファミリアが、これほどまでに売れた理由とは。

 そして今後、赤いファミリアの衝撃のようなヒットが、トヨタ以外のメーカーから生まれることはあるのだろうか? 

文/石川真禧照  写真/ MAZDA、ベストカー編集部

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■マツダ初の前輪駆動車として登場した5代目ファミリア

 現在のマツダが、まだ東洋工業と名乗っていた1980年代に日本の自動車業界に”赤い衝撃”が走った。それは文字どおり、赤い乗用車が時代を駆け抜けたのだ。

 1980年6月。東洋工業は1台のコンパクトファミリーカーを発表、発売した。その名はファミリア。初代がデビューしてから5代目にあたるそのクルマは、直線を生かしたクリーンなボディラインと、大きめのウィンドウ面積が特徴だった。

1980年に発売されたマツダ ファミリア 5代目BD型。このクルマは第1回 1980 – 1981日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した

 特に3ドアハッチバックのモデルはこれまでの日本車にはない大きめのウィンドウが新しかった。

 さらに発表された5代目ファミリアは東洋工業としては初の前輪駆動(FF)を採用していた。開発にあたり、技術陣はドイツのVWゴルフを徹底的に研究したといわれた。

 そのひとつの例としてマニュアル車のシフトレバーは初期モデルでは短く、平均的日本人にはやや遠かった。これはすぐに2cmほど長くしたのだが、ドイツ人の体型に合わせすぎた結果だった。

 同じようにシフトフィーリングも剛性を高めたために重く、手応えがありすぎた。これも剛性を多少抑えることで解決したが、ドイツ基準でのクルマづくりの結果といわれた。

 しかし、サスペンションはリアにパラレルリンクを独立させるなど、FF車でも後輪に力を入れた開発のおかげで、直進性に優れワインディングでもキッチリと曲がるクルマに仕上がっていた。走る歓びが得られるFF2ボックス車ということで、評価が高まった。

マツダ ファミリア 5代目の透視図。ドイツのVWゴルフを徹底的に研究して、この代からFFを採用している

 使い勝手に関しても前席背もたれを倒すと後席の座面と一体となるフルフラットシートを実現。後席も背もたれの端をラウンドさせたラウンジシートが上級感を演出していた。後席の背もたれは前倒しさせることができ、荷室と合わせるとスキー板や折り畳み式自転車も収納できる広さが確保されていた。

 パワーユニットの1.3Lと1.5Lのガソリンエンジンは新開発、排ガスもマツダ安定燃料方式で、10モード燃費も16.5~17.0km/Lと、クラス最高水準だった。

 のちに追加されたATもJATCOがファミリア用に開発した新型を搭載していた。このATも、当時AT車が流行しはじめた頃だったのでタイムリーな投入だった。

■マツダ ファミリアの黄金期

 このようにかなり完成度の高い5代目ファミリアはさらにボディカラーにソリッド系の赤色をラインナップ。これがファミリアレッドと名付けられ、都会的なスタイリングとピッタリとマッチし、ファッションに敏感な若者の間で評判になった。

 ファミリアの人気はデビュー翌年の1981年には年間の新型登録台数でトヨタカローラ、日産ブルーバードに次いで3位に入るまでになった。さらに人気は高まり、1982年には月間登録台数で3回もトップに立った。1983年には5回も1位に輝いたのだ。

 もちろんこれは、当時ダントツの販売ナンバーワン車だったトヨタカローラを抑えてのトップ。文字どおりの人気車種になったのだ。

 発売2~3年目を過ぎると中古車も多く出まわるようになった。車両価格もこなれてきたところで、学生などのヤングユーザーが乗るようになった。

 それを見越したようにチューニングショップやドレスアップショップから、次々とファミリアをターゲットにしたパーツも売り出された。当時のエアロパーツカタログを見ると実に12社がファミリア用のパーツを販売していた。

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