那覇交通はその昔、那覇市および沖縄本島南部に路線バス網を展開する事業者で、那覇市内線をほぼ一手に運行してきた。1978年には沖縄では珍しかった2ドア仕様のバス「730(ナナサンマル)」を運行した。しかし平成初期になると経営は悪化し、那覇バスに事業を譲渡し現在に至っている。かつて沖縄を支えていた那覇交通を振り返る。
(記事の内容は、2021年11月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2021年11月発売《バスマガジンvol.110》『平成初期のバスを振り返る』より
■730(ナナサンマル)車や当時沖縄では珍しかった2ドア路線車が活躍
●いすゞ BU04
当時の那覇交通は、那覇市内線を中心に石川市(現・うるま市)、糸満市方面などへの郊外線と、名護市への高速バスを運行しており、市内線車両と郊外線車両では仕様が分けられていたことも特徴の一つであった。
本島で運行する他3社(琉球バス、沖縄バス、東陽バス)は、郊外線の運行が中心で前乗り前降りのトップドアが標準仕様であったが、那覇交通の市内線は2ドアを採用し、均一区間では前乗り前払い・後降りの方式であった。
そのため、道路通行方向が変更となった1978年に導入された730(ナナサンマル)車も那覇交通向けのみ前後ドア車が用意されていた。
現在は各社ともにバリアフリー対応の必要性もあって前中扉が標準仕様となったが、平成初期の沖縄では那覇交通のみで見られる仕様であった。なお、730車として導入されたBU04は車体が銀色に塗られ通称「銀バス」とも呼ばれた。車体にも「GIN BUS」と書かれることもあった。
●いすゞ BU04
老朽化した730車の取替のため、1998(平成10)年から本格的な中古車の導入が始まり、本州の事業者からいすゞ製一般路線車が転入し、大量に在籍したBU04型の置換えが始まった。なお、貸切車ではそれ以前からごく少数中古バスが採用されていた。
しかし平成期に入る頃から経営悪化が顕著となり、県内路線バス事業の各社統合を模索するも実現せず、石川・沖縄市方面の郊外路線撤退・営業所の統廃合などに努めたものの経営の改善は進まず、新会社である那覇バスに事業を継承した。
この直後こそ運行本数の削減が行われたものの、その後は新車の導入や電子マネー支払いサービスの導入、車内Wi-Fiの提供などサービス改善に努めた。
沖縄本島のバス事業者の平成時代はいずれも厳しい時代と言えたが、再建計画が軌道に乗った矢先、令和となった昨今も新型コロナウィルスの影響に伴い、主力だった観光バス事業が大きな打撃を受けた。しかしかつて困難を克服し、沖縄の公共交通を維持してきた知恵と工夫で何とか乗り切ってほしいと願う。
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