そこまでやるかと世界も震撼!? 日本車が牽引した平成の超燃費競争と技術革新


平成元年(昭和64年)は西暦1989年で、まさに日本はバブル経済の最盛期であった。この年、日産スカイラインGT-Rが復活し、トヨタからはセルシオ、日産からインフィニティQ45が、またマツダ ロードスターも発売された。ホンダ NSXもこの年に発表され、翌1990年から発売される。クルマの魅力が百花繚乱となり、平成元年は日本の自動車業界にとって忘れられない歴史を刻んでいる。

一方、翌年にはバブルが崩壊。世界的にエコに対する関心が徐々に高まっていく。そうしたなかで、ハイブリッド車の登場はもちろん、軽自動車No.1エコカーの座を賭けたスズキ アルトエコとダイハツ ミライースによる熾烈な競争なども経て、日本車の燃費技術は凄まじい進化を遂げた。

ある意味で「そこまでやるか」と思わせる部分もあったのだが、その徹底した超燃費競争の裏には驚くべき技術革新があった。

そして、「燃費は良いのが当たり前」になった今、燃費を取り巻くユーザーの嗜好や車作りの方向性はまた変わり始めている。

文:御堀直嗣/写真:編集部


世界を牽引した燃費競争の「始まり」

ハイブリッドの先鞭を付けたプリウスは2003年登場の2代目で大幅進化。2009年には10・15モード燃費で30km/Lを達成したインサイトも登場し、競争が加速した

トヨタは、1993年から燃料消費を従来の半分に減らす車の開発に乗り出し、1997年12月に世界初の量産ハイブリッド乗用車「プリウス」発売につなげた。

ここから、世界を牽引する日本の燃費競争ははじまった。1999年にホンダがインサイトを発売し、日産も2000年にティーノハイブリッドを100台限定でネット販売した。ハイブリッドによる燃費競争がまず起こった。

しかし、ハイブリッドを中核に据えた燃費への取り組みは、トヨタが力を注いだものの、日産はその後のフーガハイブリッドまでハイブリッドは販売せず、ホンダもインサイトを途中でやめたり復活したりを繰り返し、燃費低減への集中力を欠いた。

欧州も、ドイツを中心にハイブリッドはその場しのぎの技術と侮り、既存技術の応用で済ませられるディーゼル化へ邁進した。米国は、カリフォルニアを軸に電気自動車(EV)の普及に乗り出すかに見えたが、ガソリン価格の変動によって燃費への関心も上下した。

HVだけじゃない!! ガソリン車が挑んだ燃費への挑戦

低燃費=ハイブリッドの図式が高まるなか、内燃機関の燃費技術も進化。2012年登場のCX-5からマツダはスカイアクティブ技術をフルに搭載した新世代モデルを次々に投入

そうしたなか、平成21年(2009年)に、ダイハツがモーターショーのコンセプトカーとして「イース」を出展し、軽自動車の燃費への本格的挑戦を開始した。刺激したのは、軽の燃費を上回るプリウスの出現と、それに関心を寄せる消費者の増加であった。

イース以前にも、スズキのアルトエコなど一部車種に、アイドリングストップと希薄燃焼エンジンを採用した燃費車という設定はあったが、当時はまだアイドリングストップの採用さえ、原価増につながると躊躇する動きが強かった。

平成22年(2010年)には、マツダが「SKYACTIV」の技術発表を行い、翌年、デミオで10・15モードながらガソリンエンジンだけで30km/Lの燃費値を実現した。それを支えたのは、エンジンの原理原則を追求したマツダの燃焼技術であり、従来は不可能と思われたガソリンエンジンでの高圧縮比の実現に負うところが大きい。

これを契機に、他の自動車メーカーのガソリンエンジン開発に勢いが出て、マツダには及ばないものの高圧縮比が当たり前の諸元となっていった。

また、マツダを筆頭に、それら高効率なガソリンエンジン技術は、レギュラーガソリンで達成されている点も見逃せない。いくら低燃費・高性能を両立しているといっても、それがプレミアムガソリンでの数値であれば、利用者への経済的負担を増やすことになるからだ。

マツダのSKYACTIVはその後、HCCI(予混合圧縮着火)に近づけるSPCCI(火花点火制御圧縮着火)へ発展している。今年発売される予定の新技術は、ガソリンでディーゼルのような燃焼をさせ、燃費をさらに改善するもので、世界の他の自動車メーカーもまだ実用化に至っていない。

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